熱い思いで参議院選挙を!(2022/7/1)

暑中お見舞い申し上げます。
夏の危機、電力需要の調整にも協力を!
参議院の第26回通常選挙には強い決心で一票を大切に投票しよう。

 6月22日に公示された参議院議員の通常選挙に、改選124議席と神奈川県での欠員1を補う125議席をめぐり、選挙区367人、比例178人の合計545人立候補の届けがあった。7月10日の投開票に向けて18日間の熱戦が始まっている。

 女性候補も届け出数の約3分の1、181人が立候補し過去最高となっている。女性比率を上げるための見せかけの数字ではなく、真に政治理念の高い活動家の当選で女性の活躍も期待したいものだ。

 比例で受理された政党・政治団体は15有り、過去最多となっている。これまで実績のある政党以外に、最近「れいわ新選組」とか「NHKをぶっ壊す」をはじめとして一点突破型の過激な言葉で注目を集めようとする政党や団体が多くなった。

 本来参議院に求められる「良識の府」としての姿が全体的にも崩れており、少数意見ももちろん尊重されるべきではあるが、それによる答えや合意が見いだせず、大事な方向性が示されず、無駄な時間と予算を費やしている国会の姿を本来の民主的機能が果たされる姿に、是非見直したいものだ。

「決断と実行。」で毅然と前に進める自民党に絶対的支持を!

 特に今回の選挙は、これまでと違って厳しい諸課題の現実が見え始め、将来に向かってどう舵を切るのかが、国民の目にも切実に見え始めた状況の中での選挙である。

 世界の中での日本の立ち位置や、評価、「国家の姿勢」の真価が国民の意思としてどう示されるのか結果が出る。

 だから、国民の命とくらしを守る=政策を、多くの国民の支持が得られる「自民党」が圧勝し、世界へその姿勢を示されることが大事だ。

今年は異常気象の暑い夏か?

 今年は梅雨も半月足らずで終えたようで、異常な暑さが続くことが予測される。そのため電気需要が高まり、燃料費の高騰もあり電気料金に跳ね返り、生活費の高騰につながる。

 頭の中まで暑い日日を迎えることになりそうだ。安全操業が大前提ではあるが、原発の稼働も検討の大きな課題だ。

 電力供給や送電網などで独占している電力会社の経営を分割し、競争力による経営努力を促すことを目的とした、他の電力販売業者がいくつもできたところだった。

 しかし、電力供給量の問題や発電料金の問題から電力販売業者が立ち行きならない。更にはそのお客さんに電気を届けられない・・・。大きな問題としてこれから取り組まなければならない社会問題である。

 ともかく目先の合理化の美名を追い、元の土台まで崩してしまうような軽々しい社会システムを安易に取り入れることは、大いに反省が必要ではないだろうか?

お山開きや海開き、日本の伝統的諸行事も復活が見え始めた。

 新型コロナ感染拡大により国内での伝統的に開催されてきた諸行事が、中止をせざるを得ない状況で2年余を経過した。

 マスクの着用やワクチン効果もあり、爆発感染は収まりつつある。各地で伝統行事の復活が叫ばれ絶やすまいと徐々に感染防止対策をとりながら復活の兆しが見えてきた。

 やはり私たちのいきる証は、日々の暮らしの中にあり人と人との支えあい営み交流が原点である。気は配りながらも、肩を寄せ合って命の発露のあかしを示してゆきましょう。

ご自愛の上、笑顔の交流を高めましょう!

君子は義に喩り、小人は利に喩る

月刊『致知」2022.7月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

『孔子が説いた人物評価の基準』

  2015年6月公職選挙法の改正に続いて、本年4月1日に改正民法が施行され、選挙権年齢、成人年齢はいずれも20歳から18歳に引き下げられました。これは世界の大勢であり、若者の独立自尊を促し、社会の活性化を図るためとされています。民法の改正は、明治初期以来146年ぶりのことです。2500年前古代中国の思想家・孔子は、弟子との学びに際し、成人男子を君子と小人に区分し、2者を対比することで人の生きる道を説きました。

 孔子は言います。
「君子は義に喩り、小人は利に喩る」(『論語』里仁第4)

 君子、即ち真に立派で賢明な人物は、事に当たって「義」を第1に考え、行動するが、つまらない人物、愚者は真っ先に私利私欲に走り、行動すると。

 孔子は、その人の「義」への対応、利への対処をもって人物評価の基準にすると言っているのです。非常に厳しい基準ですが、ではいったい「義」とは何なのでしょうか。

 1900年、米国で『武士道』(Bushi-do:The Soul of Japan)を刊行した新渡戸稲造は同書で、「義」は武士にとって最も厳しい教えであり、裏取引や不正ほど忌み嫌われるものはないと記しています。新渡戸によれば、「義」は正義の道理であり、国、社会に対する成人の責任義務であるのです。時には武士の子供にも、「約束を破る、前言を翻すなどもってのほか」などと、「義」の精神に則った言動が求められこともありました。

 新渡戸はまた、孔子の第1の後継者を自任する孟子の「義」関する考え方も紹介しています。

 「義は人の正路なり」(『孟子』離婁上)

 孟子は、人が義を守り、実践することは、人の正道であり、まして「義」を誹謗することは自暴、即ち、自らを暴うことであり、「義」を貫こうとしないこと、これを自棄、即ち自らを棄てることだと述べています。自暴自棄の語源です。成人において「義」を実践しないことは、自暴自棄だと警鐘を鳴らしているのです。

『国の品格、健全性を決めるもの』

  我が国では、元服と呼ばれる男子の成人儀式が、奈良朝以来長きにわたり行われていました。『続日本紀』によれば、日本初の元服式は714年の首皇子(後の聖武天皇)14歳の立太子礼とされています。以来、元服の礼は12歳から17歳くらいに行われるのが通例でした。

 こうした伝統は、他の国にはほとんど見受けられません。日本に詳しい中国の友人は、人間としての責任を自覚させる元服という伝統こそが、明治維新の原点にもなったのではないかと言っていましたが、私も同感です。

 ちなみに、戦国武将の元服は皆若く、伊達政宗11歳、織田信長13歳、徳川家康14歳、武田信玄16歳という記録が残っています。名を幼名から実名(諱)へ変え、髪型、衣服まで改め、精神と体裁の変換を図って一大決意の下、世に出たのです。

 今日、成人年齢を20歳から18歳に下げることに対して、彼らはまだ大人になり切っていないと心配する向きもありますが、いかがなものでしょうか。

 1961年米国第35代大統領、ジョン・F・ケネディが行った就任演説が想起されます。
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何をなすことができるのかを問うてほしい」

 国に自分の権利を要求するのではなく、国に対して国民としての義務の実践を訴えたのです。

 いま、ウクライナの人たちは各々の個人的な権利を擲ち、平和を勝ち取るために国民としての義務を遂行しようとしています。だからこそ、これに共感する多数の国々から援助の手が差し伸べられているのだと思うのです。

 翻って我が国では、コロナ禍の中で休業補費を搾取して処せられる高級官僚、法務大臣の地位にありながら自ら選挙違反行為をして実刑に処せられる者、安全第一を社是としながら公的検査で不正を働く自動車メーカー及びその経営者等々、利に喩る嘆かわしい成人が後を絶ちません。彼らは成人式を体験しなかったのでしょうか。まさに自暴自棄に陥った小人であることは間違いないでしょう。

 人生100年時代が訪れようと、SDGsやESGが叫ばれようと、義に喩ることが人としての正道であることは変わりません。国の品格や国の健全性は、義に喩る国民の多寡によって決まるのです。

 孔子、孟子、新渡戸、ケネディ。偉大な先人たちの教えをもとに国民が覚醒し、我が国がこの時代の分岐点に果敢に道を切り拓いていくことを願って止みません。

 国の品格や国の健全性は、義に喩る国民の多寡によって決まるのです