秋祭り復活を!(2022/10/1)
天高く実りの秋、皆様には如何お過ごしでしょうか?
もう2年に余り新型コロナ感染対策により、社会経済活動が色々と制約され、人々の大切な心の交流機会が抑制、孤立化の傾向が憂慮されています。
自分の存在感は、家族や地域・社会の行事ごとへの参加と連帯感の中で培われるものです。「自覚と責任」をもって、積極的に諸機会に参加し、心の健全も保ちましょう。
近頃の我が国の社会状況は、コロナ対応の問題の他にも「不道徳・不可解」な事案がマスコミでも連日報じられ、人心が混迷状況にあると思うのは私一人では無いと思います。
2月に始まったロシアのウクライナへの軍事侵攻の暴挙は、未だ世界の平和秩序の維持に大きな波紋を起し、今後は影響力が大きくなった中国の動向も注目されているところです。このように「内憂外患」の状況をしっかりと踏まえ、安心社会を創かねばなりません。
良識の最高機関である「国会(国会議員)」の見識は、国家社会興亡の源となるべきものです。しかし、最近は『●●をぶっ壊す!』などと社会の秩序を乱す無責任な言動(パフォーマンス)に誘導され、総合的政策や人格も評価しないで野次馬感覚で投票する、軽薄な有権者の有りようでは、一層社会の混迷が進みます。
今我が国が最優先で取り組むべきは、平和を守り世界との共存体制の協調・強化であり、経済活動の立て直し医療・社会保障体制の再確立や、教育水準の向上です。
未来への最大のテーマは、「持続可能な社会の実現」ですが、何より「人口減少」対策が急務の課題です。(『愛媛の人口減少対策への見直しと取り組みの指針』について、別項で特集しています。)
また、デジタル時代へと産業技術の大革命が今進んでいます。働き方・生活様式の変革もこれから飛躍的に進むでしょう。
だが本質として大切なことは、人間の生活に役立つ機能の充実に生かされるべきで、人の心を欺き、人の命を奪う手段として絶対に使わないという「責任ある倫理思想」が絶対に守られなければなりません。
そのためには、主権者である私たち一人ひとりが「自由や民主」を守るための見識ある行動と協調が、今あらためて求められています。希望ある未来を守るため、皆で頑張りましょう。
今年は秋の地方のお祭りも、通常開催に戻ったところが多くなりました。地方文化や地域コミュニティーの維持のため、鎮守の森と祭りは必要です。コロナ感染拡大にはくれぐれも注意し、参加しましょう。
不易と流行
月刊『致知」2022.10月号【巻頭の言葉】より引用
高千穂神社宮司 後藤俊彦
『敗戦後の占領政策がもたらしたもの』
このたび『致知』編集部より「巻頭の言葉」執筆の依頼を受けました高千穂神社宮司の後藤俊彦と申します。
『致知』は斯界における月刊誌の中でも、毎回社会の様々な分野で活躍され優れた実績を残しておられる方々が登場され、誌面を通してその謦咳に接することは得難い機会であり、歓びでもあります。
『致知』と私の出会いはかなり古いものと思いますが、一時期購読を中断していたこともあり、再び購読を始めて10年近くになりました。
私は第2次世界大戦終戦の昭和20年11月に宮崎県の高千穂町に生まれました。従って、私の人生と戦後日本の歴史はちょうど重なっております。
敗戦後の占領政策によって戦前と戦後の我が国の国民思想と国家形態は大きく変わりました。縄文時代を含め、我が国の3000年をはるかに超える長い歴史を経て築きあげてきた様々な文化的・歴史的価値観は、すべて“封建的価値観”として否定され、個人の自由と人権を重視するアメリカ民主主義が新時代の教育の理念とされました。
一方で、人民の楽園として喧伝されていた社会主義思想に憧れて国家の理想とする人々も多くいました。この2つの思想に共通していることは我が国の歴史に否定的で、反伝統的な感情にあったように思います。
私も多感な青少年時代にその影響をうけた1人でありますが、幸いにも自分が生を享けた日本という国を愛する気持ちを失うことはありませんでした。
「不易流行」という言葉がありますが、幼い時に読んだ書物や感化を受けた人々の記憶の中に古きよき日本の面影は生き続けていたように思います。
『神職の道は国の源流を訪ねる道』
なにか国家のためになるような仕事がしたい。そう思っていた私は、大学卒業後の5年間、参議院議員の秘書として働き、その後思いがけない縁により神職の道を歩むことになりましたが、それは私が愛した国の源流を尋ねる道でもありました。
人は専門の勉強だけでは足りないものがあり、「学成り難き」ものです。休日もなく神明奉仕と修行に明け暮れる日々の中で、『致知』は私に一服の茶を喫するようなやすらぎと知的な活力を与えてくれました。
このたび『致知』新年号(令和4年1月号)の誌上で、かねて尊敬している参議院議員の山谷えり子先生と対談の機会を戴き、思いがけなく全国各地の『致知』の読者からお便りや訪問を戴いたことに驚いております。
その御縁からか、このたび巻頭言の執筆依頼を戴きました。浅学非才の身ではありますが、執筆を通して読者の皆様と共に学びの道を深めてゆければ幸甚に存じております。
『致知』は私に一服の茶を喫するようなやすらぎと知的な活力を与えてくれました