山火事注意!(2025.4.1)

山火事注意!
今年に入って1月にはアメリカ・カリフォルニア州で150平方キロメートル・1万6200棟を焼失した山火事が発生。我が国内でも2月末に、岩手県の大船渡で市の面積の9%の2900ヘクタール、2000棟の家屋の消失があった。他にも長野県や岐阜県でも発生した。
3月23日から愛媛県今治市長沢で発生、雨が降らず強風の中で、消防・自衛隊・緊急援助隊を総動員して消火に当たったが、約500ヘクタール以上燃え続け、27日夜降った雨で何とか鎮圧したようだった。この時を同じくして岡山市でも約600ヘクタールを燃やす山林火災があった。いずれも国の災害救助法の適用を受け、今後の復旧に当たるものだが、本当に無残な焼け跡の整理・復興も大変なことと心も痛みますね。
以前は春先に蕨取りなどで山に入ったり、山の下草手入れに入って煙草の不始末が原因だったりしましたが、最近は火災の原因はよくわからないようです。乾燥が続く気象現象や、山の手入れが行き届いていなくて、枯草・枯葉など自然発火の要因も強くなっているようです。いづれにしてもいったん火が入ると、地理地形的にも消火には中々手が付けられず大被害を起こします。くれぐれも気を付けましょう。火事は何にも残してくれません。
さて、新年度の始まりです。学生は進級により新しい学びや、友人との出会いがありますが、学業はもとよりですが、自分磨きとなる友人との人間関係づくりにも頑張って取り組みましょう。
社会人はデジタル化による仕事環境が急激に進められ、変革への対応が必然的に求められ、ストレスの多いことと思います。だけど諦めず、腐らず避けて通れない道と頑張りましょう。
とにかくあれもこれもとニュースソースの多い時代となりました。私が一番恐れることは、フェイクニュースで道を誤らせる事案が増えていることです。他人を欺いて徳を得ようなどとさみしい根性を持ってはいけません。だまされる人よりはやはりだます人のほうが悪いのです。
公共の福利良俗とはどうあるべきか、みんなで考え直さなければならないほど、最近の社会情勢は悪くなっています。勿論政治に責任もあるのですが、やはりこれを支える主権者は国民であり、賢い有権者で平和社会を守りましょう。内閣支持率などの発表を見て、最近特に「誰のための政治なの」と思ってなりません。
民の誇りと国家の姿を 取り戻す年に
月刊『致知」2025.4月号【巻頭の言葉】より引用
高千穂神社宮司 後藤俊彦

~ カリフォルニアの山火事に思う ~
今年は年明け早々に米国のカリフォルニア州で大規模な山火事が発生し、テレビで観る情景は戦争で空爆を受けた都市の観があった。私は令和元年の秋にロサンゼルスで開催されアジア映画祭に招かれ、自然災害を鎮めるための神事(巫女舞)を披露した経験があり、複雑な思いで速やかな鎮火を祈った。
人類は”火”の発明により豊かな文明をつくり出すことができたが、マッチ一本ほどの小さな火種が、山林も人家と人々の平和な暮らしも一瞬にして奪ってしまうところに火災の恐ろしさがある。 それは現代の高度な文明の利器にも当てはまる。そのことをいまから百年も前に物理学者の寺田寅彦先生は、著書『天災と国防』の中で「文明が発達すればするほど自然災害は大きくなる」と語っておられる。
人類の目指す文明が、天地自然の理にかない、正しいものでなければ人類は自ら災禍を招き自滅の道を歩む恐れがある。
平成二十八年の四月に熊本県南阿蘇方面を中心に大地震が発生した。 私は被災神社の見舞いのために現地を訪れようとしたが、途中は現代の土木技術の粋を尽くした橋やトンネルが方々で損壊しており、そのたびに迂回路を利用した。その一方で、普段は土地の人もあまり利用しない明治、大正、昭和初期に造られた旧い道路は所々に石の塊が落ちている程度で、災害時にあって立派に道路の役割を果たしており、思わず感謝の念を覚えた。
『日本書紀』によると、十五代応神天皇の五年に諸国に命じて〝山守部”を定めたと記されている。山守部とは山を管理する役人のことで、既に三世紀の頃から我が国では国家の事業として山を保全し管理していたことが分かる。それは今日、政府主催の全国植樹祭や育樹祭の行事として継承されているのである。
一九一二年二月に当時の東京市から三千二十本の桜の苗木が米国のワシントンに到着した。日露戦争終結のポーツマス条約締結で、米国の恩義を受けた日本国の感謝の印として米国に贈られたものである。日米友好親善の証として首都ワシントンのポトマック河畔に植えられた桜並木は、第二次世界大戦の時も伐採されることはなく、毎年見事な美しい花を咲かせて米国民や訪れる人に美しい感動を与える花の名所となっている。
戦後の日米両国の関係は概ね良好であり、年明けの二月八日に日米首脳会談が行われた。『聖書』のヨブ記に「木には希望がある。たとえ切られるともまた芽を出してその枝絶えず」とある。日米間の政治や経済の問題だけではなく、このたびのカリフォルニア州の山火事のお見舞いとして、我が国の知恵を尽くして被災現場への植林の協力などを提案してもよかったのではないかと思った。日米同盟は単に軍事面だけのことを指すのではなく、両国の文化も伴うよき価値を共有する長期的な展望に立って行われることが望ましい。
~ 国家の使命と理想を 発信してゆくべき時代 ~
トランプ大統領は、その就任演説で偉大なアメリカの再生と米国第一主義を宣言した。その具体例としては、現在デンマークが統治しているグリーンランドの購入、アメリカが建設に関わったパナマ運河の奪還、カナダの併合からパレスチナガザ地区”の統治に至るまで発言が及び、国家の安全を理由として地政学的な領土拡張の野心が読み取れる内容であった。
アメリカは建国以来、太平洋支配の野望を捨ててはいない。アメリカは一八九八年にスペインとの戦争に勝利してフィリピンの統治権を譲り受け、一九五九年にはハワイを米国の五十番目の州として併合している。我が国との戦争の真の目的は「太平洋の覇権 我が手に」であった。今回のトランプ大統領の発言は、アメリカという国家の体質として不思議ではない。
資本主義大国アメリカは、プロテスタントの精神と理念によって建国され、資本主義はプロテスタンティズムから生まれたといわれる。我が国も明治維新を通して資本主義国の道を歩んできた。しかし、十九世紀以来の我が国の経済活動の精神には、福沢諭吉が「エコノミー」という用語を「経世済民」(世を治め、民生を安んずる人民のための政治)と訳語したように、商売(あきない)の尊さは売り買いいずれも益し、世の中の不足を埋めることを商人道とした近江商人の儒教的精神に通じるものがある。
令和七年の今年は、建国以来の皇紀でいえば二六八五年になり、昭和から百年、第二次世界大戦終戦より八十年の大きな節目の年である。民間で親しまれている干支は乙巳で脱皮と再生の年ともいわれる。自国の存亡を懸けて目まぐるしく変化してゆく世界にあって、自国自身を見失うようであってはならない。国家は常に歴史と共にあり、民族の生命そのものである。私どもは悠久の歴史を持つこの国の歴史から学び、混迷を深めてゆく世にあって国家としての使命と理想を発信してゆくべき時代を迎えている。
聖徳太子は中国の隋の国王に宛てた書簡に我が国のことを「日出処」と書き、江戸時代
の国学者本居宣長は「敷島の大和心を人とは朝日に匂ふ山桜花」と詠んだ。 日出る国の民としての誇りと、朝日に気高く匂う国家の姿を取り戻す節目の年になることを願わずにはおれない。