こどもを大切に(2013/5/1)
大人の身勝手でこどもを犠牲にしてはならない
5月は「憲法記念日」「みどりの日」「こどもの日」と連休が続く、緊張で始まった新年度にちょっと気分休めが出来る。
人間緊張ばかりではしんどい事だ、ストレスを溜め込まない事が大事で、長生き(長く持たせる)の秘訣だろう。ストレス解消法は人それぞれ違っていいのだが、自分なりに持っておこう。
しかし、それが周りの人のストレスとなるようなことには、ならないものであって欲しい。
俗に「自己中」と言われ、自分の思いのみが中心で、特に子供がいても逆に子供が疎ましくなったり、ひいては邪魔になるほどに、自分しか見えない大人(親)が、こどもを虐待したり、死に至らしめたりすることも、後を絶たないのが残念だ。
こどもは国の宝ではないか、みんなで守ろう、みんなで育てよう。
そんな命を守る尊さが希薄な世相だから、韓国や中国からも最近は言いたい放題の、我が国は受身に立たされているようだ。
幸い安倍総理は毅然とした姿勢を通していて安心できる。政治がしっかりと理念と責任を持って社会規範を質しリードして、この国を国際社会から信頼される国にしなければならない。
日本経済にも明るい兆しが見え始めた
いわゆるアベノミクス効果により、円安・株高で外国人観光客が増え、輸出企業の業績は回復している。だが一方輸入品は高くなっているようだ。物には裏と表があり、全て良しとは行かないが影になった部分は必要ならカバーすればよいではないか。
高い農産物はTPP問題の危惧があるが、買わなければ関税も糞もない。「地産地消」で安全安心を守り、自給率の確保も維持するべきだ。
長かったデフレ不況も、出口が見え始めたのではなかろうか?
乾は、元いに享りて貞きに利ろし
月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=伊與田 覚(論語普及会学監)
『正しい行為を怠らず積み重ねていく』
四書五経の一つに数えられる『易経』は、天の理法、人の道を説くもので、リーダーたるものはすべからく易を学ぶべし、易を知らずんば宰相となるなかれともいわれ、重視されてきました。
『致知』でもお馴染みの安岡正篤先生は、その高い見識から各界リーダーの指南役と謳われた方ですが、若くして易をマスターされていました。
『易経』には、「乾は、元いに享りて貞きに利ろし」
という言葉があります。
「乾」は明るく活動的な姿。「元いに享りて」は思ったことが遂げられていくこと。
つまり明るく活動的な人物は何事にも通じ、思いを遂げられるという意味です。
ただしそのためには「貞きに利ろし」、正しい行為を積み重ねていくことが大事だと説かれています。
乾は健康の健にも通じ、素質のいい、将来性のある人物の例えです。そういう立派な君子となるためにも、正しい行為を怠らず積み重ねていくことが大切なのです。
『立派な君子になるための道筋』
では立派な君子になるための正しい行為とはどのようなものでしょうか。
『易経』では、その道筋を龍が天に昇る様子に例え、段階的に説き示しています。
紙幅に限りがあるため詳細は記せませんが、それは 初九(しょきゅう)、 九二(きゅうじ)、 九三(きゅうさん)、 九四(きゅうし)、 九五(きゅうご)、 上九(じょうきゅう)の六段階で、会社でいえば 平社員、 係長・課長、 部長・局長、 重役、 社長、 会長に当てはめて考えれば分かりやすいでしょう。
「初九。潜龍なり。用うるなかれ」龍は最初から天を飛ぶのではなく、水中で育つものです。
会社も優秀な学生を採用したからといって、最初からことさらに重く用いるべきではありません。
本人も早く認めてもらおうと血気に逸りがちですが、まずは身を低くしてしっかり力を養うこと、「潜龍」が大事です。
人知れずいかに潜龍の時代を過ごすかでその人の将来は決まります。立派な業績を上げた成功者には必ず長い潜龍の時代があったはずです。
潜龍の時代を経て次第にその人は周囲から認められるようになり、係長・課長クラスに昇格します。
「九二。見龍田(けんりゅうでん)に在り。 大人(たいじん)を見るに利(よ)ろし」見龍とは龍が頭を少しだけ水上に出したところ。
田は湿地帯です。会社でいえば存在が認められ、一つの役割を与えられた段階といえましょう。
この時期の心掛けは、「大人を見るに利ろし」、会社の社長や重役など、優れた人物をよく見てそれに学ぶべきであると説かれています。
社長や重役はそれ相応の努力を重ね、地位に相応しい人格を養ってきているはずですから、まずは身近なお手本に謙虚に学ぶことが大切です。
そうして真摯に実力を養えば部長・局長クラスに抜擢されます。
「九三、君子終日乾乾し、夕まで惕若たり。厲うけれども咎なし。」
中堅幹部として組織で大きな働きが求められる立場になり、「終日乾乾」、朝から晩まで真剣に会社を思い、仕事のことを考え、怠ることなく努力すること。そして「夕べに惕若」、帰宅後は一人静かに一日を振り返り、自分の言動を反省するひとときを持つ。
このクラスは夜の付き合いも忙しいでしょうが、どんなに疲れて帰ってきても必ず自分を振り返ってから休みことが大切です。
そうすれば「厲うけれども咎なし。」、部局長というのは上から叩かれ、下から突かれ、非常に厳しく、危うい立場です。
しかし地位に胡坐をかくことなく努めていれば、咎められることもなく、さらに認められて重役クラスに昇進します。
「九四、或いは躍りて淵に在り。咎なし。」
ここまで至れば相当な実力も身につき、社長の地位もちらつくようになります。
世間では次期社長と目されていた人が突然失脚する事もありますが、龍が淵にある間はさらに謙虚に己を省み、実力を養うことでその地位を保つことができるということです。
『易経』ではこの後、十五、十九を経て「群龍首なきを見る。吉なり」、つまり終わりを立派に全うし、喜ばしい状態に至れると説かれています。
いかなる立場にあっても謙虚さを忘れず、己を磨き続けることの大切さを、私自身も改めて銘記したいと念じております。