景気の蕾も開いてほしい!(2014/4/1)

県議会議長として就任、忙しい毎日をおくっています。

 さる3月19日、2月定例県議会の最終日、同僚議員各位から推挙をいただき、第102代の愛媛県議会議長に就任いたしました。

 まことに光栄なことで、27歳で西条市議会議員として、郷土で少しでも未来に希望の持てる故郷づくりに、携わり貢献したいとの思いで当選させていただき5期務め、さらに平成10年には県議会議員として当選させていただいて以来4期15年目になりますが、地元西条の皆様の温かいご支援で支えていただいているおかげで、この役職にもつかせていただけることとなったものであり、感謝の心を忘れず、これまでの経験や知識も生かしながら、地位に溺れることなくこれまでの自分や政治姿勢を変えることなく、公正な目と市民目線を外さない行動で誠心誠意取り組み、今任期最終年となったが、愛媛の元気創造に知事とも力を合わせ、ある時は議論を交わしながら、「チーム愛媛」で活力を各方面から引き出すことに努めたい。

 いろいろな厳しい場面があると想定されますが、頑張りますので皆様の温かいご支援と、ご協力をよろしくお願いいたします。

消費税のアップが景気浮揚の足を引っ張らないでほしいものだ。

 さて4月1日から消費税が8%となる。この前1年は、安倍政権によるデフレ解消、景気浮揚の策を3本の矢と言われたように、次々放ち世界経済の安定化も功を奏し、円安も加わり、輸出企業の決算は大幅な利益増に好転した、これに政府は公共事業で景気を支える手段も講じ、さらに大企業に利益を給与に反映させ、賃上げを求めるなど労働組合が躊躇している問題にまで踏み込んで、景気浮揚を目指している。
それもそのはず4月1日から実施を決めた消費税の増税が、国民の財布のひもを固くされると、生産も伸び悩み、利益を生んで税収となって還ってくる循環のパイプに逆流さえ起こしかねなくなるのである。景気はまたデフレに逆戻りしかねない。

 この運用の駆け引きがこの国の先行き運命を左右する。みんなで金の流れを止めないようにしたいものだ。公共事業も年間を通して安定的にこなせるような、発注に意を用いられたい。
一度に重ねて発注するから、資材費や人件費の高騰で採算が合わないため、入札しても落札者が決まらない入札不調などの現象も現れている。かなり注意を要する問題だ。

新しい視点と覚悟で時代をともに築こう!

 4月には年度替わりということもあり、あたらしい環境でスタートしたものと思います。
正月には自分の身の回りの生活環境を見直す機会があり、志も立てたと思いますが、年度替わりにはまた違った角度で、社会の中の自分の役割などを見つめなおし、志をあらたにしたいものです。
 大事なことは、過去の経験は生かさなければならないが、いつまでも「もしやもしや」の淡い夢ばかり追うのはもう止めましょう。
「大きいことはいいことだ」を足元から見直し「小さくても価値あるものを生かす視点」を持ちましょう。いくらでも有るでしょう。この知恵が集まれば無駄のない効率的な社会や、仕組みができてくるものと思います。今はそれが大事な時と私は思い頑張ります。ともに頑張りましょう。

我が民族が紡ぎ続けてきた美質

月刊『致知」2014.4月号より引用=中條高徳(アサヒビール名誉顧問)

『我われは波動を立てねばならない』

 中国、韓国は我われの近くに生きる民族なのに、国際的常識では理解できない動きを次々と繰り返す。我が国は安倍内閣が誕生し、近代国家の為すべきこと次々と手を打ち、経済の明るさも見えてきた。
2020年のオリンピック・ パラリンピックも東京に決まり、 極めて明るいニュースである。
 この極東の国ニッポンで東京(昭和39年)、札幌冬季、長野冬季と、なんと4回目のオリンピックが開催されることは、国民の誇りであり、国力と言っていいし、民度力と呼んでもいい。それらが勝れているからこそ 招致し得たのだ。

 その時、『致知』の読者が 10万人に達した。森信三先生の「日本が変わる」地点に 到達したのである。 しかし、数だけ揃ったら幸せが来るほど、世間は甘くない。我われは動かねばならない。 つまり波動を立てねばならない。

 思えば昭和16年、我が国は英米大国と戦を起こした。大東亜戦争である。そして敗れた。戦争の勝敗の論理は古今東西、常に勝者が正義となり、敗者が悪に回される。占領軍は「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(日本の戦争罪悪史)を日本中、山の奥まで徹底して説き回った。日本民族が長い時をかけて磨いてきた美質の多くは〝この時〟音を立てて崩れていった。 その占領軍もサンフランシスコ条約を結んで 昭和28年引き揚げていった。だが時務学を専らにし、大金を掴んだ日本人の多くは眼を覚まし得なかった。森先生は人間学を注入した読者が10万人になるということは、迷える子羊のアンチテーゼ(反対存在)として頼もしく見えたに違いない。
迷える子羊たちは、我が子が学校給食を受ける時、給食は当然の権利でありしたがって神仏への感謝になど繋がるはずはなく、「いただきます」と言う必要がないとか、払うべき給食費も払わないという。

 筆者の家は大家族であったが すべて箱膳(はこぜん)であり、 父のお膳は「戸主(こしゅ)膳」 と呼び、一回り大きく、 料理が1皿多かった。 父の発声で「いただきます」と 食事は始まった。 ごはん粒一粒たりとも残すと「神様が眼を潰す」と おばあさんが孫に もっともらしく説いていた。 田舎の1軒1軒でも、 修身斉家治国平天下という 教育のテーゼにかなうよう、 生き抜いていた。

『食事のあり方を説いた
「五観の偈」』

 「和食」が世界遺産に指定され、我が国も観光立国を強調しているので、古来、食べることに最も粛然と対してきた寺の食事のあり方を紹介しよう。
『致知』にも登場された臨済宗の大本山円覚寺の管長・横田南嶺老師に教えを乞い、お伝えする。
 一には功の多少を計り  彼の来処を量る
 二には己が徳行の全闕を忖って  供に応ず
 三には心を防ぎ  過を離るることは貪等を宗とす
 四には正に良薬を事とするは  形枯を療ぜんがためなり
 五には成道の為の故にいま此の食を受く
 横田南嶺管長解釈
一、この食事がどうしてできたか、どのような手間がかかっているか、どうしてここに運ばれてきたかを考え、感謝をいたします
二、自分の行いがこの食をいただくに価するものであるかどうか反省していただきます
三、心を正しく保ち、貪りなどの誤った行いを避けるためにいただくことを誓います
四、この食事は良薬であり、 身体を養い健康を保つためにいただきます
五、私は自らの道を成し遂げるために、この食をいただきます

「いただきます」
願はくは此の功徳(くどく)を以て普(あまね)く一切に及ぼし我等と衆生(しゅじょう)と皆共に仏道を成ぜんことを
「ごちそうさま」
 横田南嶺管長解釈
どうかこの功徳をひろく一切の生きとし生ける者皆の為にふり向けて、私たちと人々ともろともに仏道を成就することができますように。ごちそうさまでした。
偈…韻文体の経文。四句からなる詩の形で仏の功徳を褒め称えたもの

 筆者が森信三先生に習って、会員10万人になったら我が国の流れが変わると励ましている「倫理法人会」という集団がある。丸山敏雄氏が創業したもので全国で健気に活躍している。集まるごとに唱えている「万人幸福の栞」など、教育勅語そのものである。
食事の時、我われ先祖が積み上げてきたものが滲み出るような挨拶をする。まずリーダーが「姿勢を正し、軽く目を閉じてください」と声を掛け、「天地の恵みと多くの人々の働きに 感謝して生命のもとを つつしんでいただきます」食べ終われば「ごちそうさまでした」で手を合わす。 
我が民族が磨き続けてきて、戦後失いかけているこのような民族の美質を復元することこそが我われに課された重大な役割なのです。