日本創生なるか?(2014/12/1)

安倍総理 衆議院を解散 「アベノミクスの評価を問う」?

 安倍総理は来年10月から消費税を2%上げ10%とすることを年内に判断決定するとしていたが、その決定要因には景気動向を判断し、引き延ばす可能性もあるとの条件も付けて、消費税の増税は総論としては実施すべき、との自民・公明・民主の3党合意に基づき、先の4月に5%を8%に増税したのだが、並行してデフレ脱却を目指して金融緩和などいわゆる「アベノミクス」と呼ばれる経済政策を打ちだし、円安により輸出企業は利益を生み出し、雇用の改善や、一部は賃金の上昇など景気回復感がみられるものの、一方では輸入資材の高騰により中小企業に利益が生まれず、さらに消費税の増税前には駆け込み需要があったものの、いまだに個人消費は回復せず、中小企業や地方には景気回復感も及んでいないのが実情で、社会保障経費などで増え続ける国の借金を減らし、プライマリーバランスを整えることは避けられない実情だが、平成29年4月まで増税せずそれまでに景気回復により所得を増やし、税負担に耐えられる状況に更に「アベノミクス」政策を進める経済政策を推進することを、国民に理解と評価をこの解散で問うことになっている。

 正直唐突の感じは否めず、しかもわが県では先に知事選挙が11月に行われたばかりであり加えて、地方自治体は12月定例議会もあり、世間一般も師走と謂えば気忙しい時期でもあり、選挙どころではないというのが実感でもある。

 何かにつけ先送り先送りで適切な処置を怠ってきたつけを、何時までも引きずり少子化する世代に負担が耐えられない社会としてしまったのではいけない。勇気をもって不退転の決意をもってこの国のあり方を国民一人一人が責任を持つ決意をしなければならないことも、最も大事な今の必要性だろう。

 右往左往しているすきに乗じて、近隣諸国からも足元を見られるような行動で迫られ、その対応ぶりによっては世界の各国からも日本ブランドはまさに評価を失ってゆくだろう。
今、止めなければ益々打つ手もなくなってくるのだろう。みんなで頑張って安定した信頼できる政府のニッポンを作ろう!

石鎚山に「日本一の環境配慮型トイレ休憩所」完成!山をきれいに!

 先月11月20日石鎚山「2の鎖下」の西条市側成就社からの登山ルートと、久万町側土小屋からの登山ルートの合流点に、長年私どもの懸案であった「環境配慮型トイレ」が完成した。
男子の小便器3、大便器1、女性用3器を備え水洗式だ。併せて冬季の避難小屋としての機能も併設して備えられ、2階窓からの出入りもできるようになっているし、県産材のヒノキや杉を使った柔らかさがありながらも重厚感もある、私の自慢としては日本一素晴らしいトイレだ。

 富士山が世界遺産に登録されたことなどもあるが、近年登山者が増えているが、どの山でもトイレ問題は大きな課題である。
石鎚山でも①国定公園内での形状変更の問題 ②設置場所としての平地の確保 ③厳しい気候変動など耐気象条件 などなど諸問題と課題を、みんなで熱意を込めての取り組みが実を結んだものだ。利用料金はチップ制(100円をポストに投入)で愛好者などを含め関係団体で協議会を組織して維持管理にあたることになっている。

 これからの各地での取り組みの成功先進事例となるように是非運営面でもお願いしたい。
とにかく、完成し、テープカットに登れたことは我が人生のいい思い出だ。

皆さんのつつがないご越年をお祈りします。

夢に生きた男 竹鶴政孝

月刊『致知」2014.12月号より引用  中條 高徳 ( アサヒビール名誉顧問 )

『将来に希望を持てない我が国の若者』

 第百87回臨時国会が開かれ、安倍首相は所信表明演説で、力強い日本づくりの方針を説いた。新聞一頁に及ぶものであるが、国民のすべてがもう一度読み直して、己(おの)がじし自分の課題としてしっかり捉えてほしい。
 人口減少や超高齢化など我が国が直面する構造的な課題は深刻であり、その解決の糸口に「観光立国」「女性が輝く社会」など様々な課題が提案されている。将来に夢や希望を抱き、その場所でチャレンジしたいと願う、そうした若者こそが危機に歯止めをかける鍵であると首相は説く。
 87歳となった筆者のこれまでの経験は「夢は豊かさと逆相関」という理を気づかせてくれた。分かりやすく言えば、豊かになればなるほど、夢は小さくしぼんでゆくということである。

 日本青少年研究所(現・国立青少年教育振興機構)は政府と民間機関から委託を受け、長年、日米中韓四か国の中高校生の夢調査を行い世間に訴えてきた。
 今年6月、内閣府は2014年版『子ども・若者白書』を発表した。その中で「今を生きる若者の意識~国際比較から見えてくるもの~」と題した特集を組み、世界7か国の若者(満13歳から満29歳までの男女)の意識調査結果を公表している。

 「あなたは、自分の将来について明るい希望を持っていますか」と尋ね、「希望がある」「どちらかといえば希望がある」を加えた人が日本は61.6%と最低であった。

《日本を含む7か国の若者の意識調査》
 自分の将来に明るい希望を持つ/40歳になった時は幸せになっている
日本     61.6/66.2
韓国     86.4/81.6
アメリカ   91.2/86.8
イギリス   89.8/86.2
ドイッ    82.4/86.2
フランス   83.3/87.4
スウェーデン 90.8/82.1
 戦後の惨酷(さんこく)からあれだけの起ち上がりを見せた日本人の底力は大したものであった。しかし、見てきたように若者たちの夢は積み上げた豊かさと反比例するように小さくなってきた。

『竹鶴政孝が追い続けた夢』

 筆者の生まれた頃は、日本酒は「国酒」として磨かれ、長い歴史を刻んでいたが、ウイスキーは全くなかった。
 最近、NHK連続テレビ小説『マッサン』の放送が開始された。日本のウイスキーの父と呼ばれた男・竹鶴政孝の物語である。
 古い歴史の酒蔵に生まれた竹鶴はウイスキー造りを夢みていた。大阪高等工業学校の醸造学科に学び、摂津酒造という名門に合格するどころか、竹鷯の大きな夢はスコットランドへの留学にまで繋がった。「自信のつくまで学んでこい」との社命に燃えた竹鶴は、そこでリタというスコットランド人女性と恋に落ち、結婚ともなった。
 竹鶴帰国後の摂津酒造はウイスキーの本質を知り、投下資本の回収の長さに辟易(へきえき)してかウイスキー製造を断念してしまった。

 退職した竹鶴に迫ったのが寿屋(現・サントリー)創業者の鳥井信治郎であり、筆者の師でアサヒビール初代社長の山本為三郎であった。まさに縁尋(えんじん)機妙(きみょう)としか言い様がない。鳥井は大阪の有名な薬種問屋である小西儀助商店(アサヒビールー号特約店)に丁稚(でっち)奉公中、調合の技術を身につけ「寿屋」を起業し、「赤玉ポートワイン」で気を吐いていた。その瓶は山本の家業だった山為硝子(ガラス)の製品であった。
 そのような縁の重なりで、竹鶴の夢は果たされ、大阪の山崎に日本第一号のウイスキーエ場が誕生したのである。

 十年後、竹鶴は鳥井と別れ、ウイスキー造りの夢を託せる理想の地、北海道余市に移った。ウイスキーは蒸溜してもすぐには売れない。その間、リソゴジュースで商いをしながらモルト(麦芽)を溜めていった。
その時の名称を大日本果汁株式会社と呼んだ。それを後に略してニッカとなった。今年創業80周年を迎えたニッカウィスキーの原点である。

 折しも、本誌十月号の特集は「夢に挑む」だった。『致知』の読者の皆さんには、竹鶴政孝のように夢に向かって挑み続ける人生を送ってほしいものである。そしてまた、そういう若者を一人でも多くつくらなければこの国に未来はない。