混迷の春だが(2017/4/1)

日本の平和・安全・安心が守られるのだろうか?

 韓国の大統領の弾劾裁判による罷免、さらには逮捕拘留騒動の中、韓国経済は一挙に失速、北朝鮮は粛清により益々主席に独裁権力を集中させ、ミサイルなど破壊勢力を誇示して暴走寸前、これらの情勢をにらみながら、中国とアメリカがけん制し合い、もう何かのきっかけがあれば、東アジアで暴走(武力戦争)が起こる可能性が非常に高まっているとの緊張感を、私は感じてならない。
 
 このような周辺諸国の情勢にあって、わが国の国会の在りようはいったい何なのだろう? 総理や国会を森友学園スキャンダルのような話で審議時間を費やし、いま日本が果たすべき周辺諸国との緊張を抑える役割が、全く果せていないのではなかろうか?このままだとむしろわが国が、とばっちりの戦場となりかねない。北朝鮮や中国のミサイルは、日本の米軍基地の方を向いて設定されているだろうと私は思う。

 こんな異常な、非情な事態を想像するのも嫌なことだが、OOファーストで自分のことばかり正当化する思想がこのまま蔓延すれば、必ずぶつかり合うことになるのは必定に思えてならない。

思いやりの心を取り戻そう!愛情あふれる寛容の社会を創ろう!

  先の県議会でも議長の選出を巡り、過去の先輩の苦い経験から生み出した知恵により、一定の民主的ルールで党の結束をもって決めてきたのだが、自分もそのルールのおかげで役に就かせてもらったのに、何が気に入らないのか身勝手に、友情も党の取り決めも裏切る者が出て、最大会派の自民党内で分裂、別の会派ができる事態となって大混乱が生じている。

 例えは悪いが、子供が飴を分けてもらうのに、誰かの飴の方がおいしそうだからと、駄々をこねるようなレベルでの騒動で、恥ずかしい限りだ。
私は幹事長としてこの大義のない分裂の中で、みんなで決めていた議長候補を実現させられなかったことの責任の重さを受け止め、次年度の幹事長を再任との決定、支持をいただいていたのであるが、「辞退」を申し出て、自分なりに政治家としての筋を通す生きざまに、恥じ無きようさせて戴いた。

 本当に皆様には温かい友情あふれるご協力や・ご指導をいただき、1年ではあったが幹事長の大役も果たさせていただいたことに、「感謝」の一言につきますが御礼申し上げる次第です。

「白石徹」衆議院議員の功績を称え、ご冥福をお祈りする。
一方、補選で遺志を継ぐ候補者の選考が急がれる。

 さて、私と同期で県議会議員に当選、3期途中で衆議院議員選挙に挑戦、最初は落選の苦杯も味わったが、次には見事に当選し、2期目を務められ郷土の発展のために奔走努力をいただいていた「白石とおる」さんが、3月17日残念なことに逝去された。彼は素晴らしい政治感覚と行動力で本当に素晴らしい政治家で、彼を失ったことは本当に悔しい。私以上に本人は志半ばで病に負けたことを悔しがっていることだろう。心から彼の功績をたたえご冥福を祈るものです。

 この後悲しみに暮れてばかりではいられず、10月に補選となるが、後任の候補を擁立し、地域のために働く議員を育てなければならない。
今自民党が愛媛でもすべての議席をいただき、しかも実力者ぞろいで最も充実した政治力を発揮できる環境にある。これをどうしても死守しなければなりません。私は第3選挙区の区長として自民党責任者に就任しました。どうか皆様のご理解とご支援をよろしくお願いします。

良心に逆らう者は 覇気を失う

月刊『致知」2017.4月号【巻頭の言葉】より引用  鍵山 秀三郎(日本を美しくする会相談役)

『穏やかで安定した国に住めることのありがたさ』

 民主主義を標榜するアメリカで選ばれた大統領が原因となって、国家を二分するかのようなデモが発生しました。それがアメリカばかりではなく、デンマーク、フランス、ドイツといった他国にまで飛び火しています。
 そのデモは、自分たちの意見を主張するだけに止まらず、店舗を破壊し、器物を破損するなど、もはや騒動というよりは、騒乱というレベルに発展しています。

 こうした大騒乱は、隣国の中国、韓国、ではこれまでしばしば繰り返されてきたことですので驚くには当たりませんが、アメリカでのこれほどの騒乱が起こることは稀です。ごく一部の地域の、限られた階層の人たちの間でたまに起こることはあっても、今回ほど広域かつ多層の人たちによる騒乱は、これまでになかったことだと思います。
 
 いまも世界の各地では、様々な事件によって甚大な被害を受けたり、母国に住むこともできず、生きていくことさえ否定されている人たちが多数います。そういう人たちを見るにつけ、穏やかで安定した国に住める私たち日本人がいかに恵まれているかを実感させられます。

 もし私が中国や韓国の国民であれば、周りの荒んだ空気に突き動かされて、自分の願望を絶叫し、荒々しい行動を取っていたかもしれません。隣国を妬み、わけもなく誹謗することのみによって留飲を下げるような、浅ましくて賤しい人間にならなかったことは幸せだと言えましょう。

『相手を貶すばかりでは何も生まれない』

  しかし、他人を誹謗し、何の生産性もないことを繰り返している人は、日本にも存在します。
 国会において、国民の過半数の人が支持をしている安倍首相の提案を否定し、意味もなく空論を繰り広げて時間の浪費をし続けている野党の行為は、隣国が日本に対してやっていることとほとんど変わりなく、その様子をテレビで見る度に苦々しい思いがこみ上げてきます。

 現政権が議論を尽くしたうえで採決したことを、「強行採決」と叫ぶ姿は「強行阻止」そのものでしかありません。野党の質問内容に至っては、個人の身の上相談や、「お子様電話相談室」の方が程度が高いと思われる内容ばかりで落胆させられます。坂本龍馬は「よき回答を得たければよき質問をせよ」と言っています。

 誰一人として当事者能力を備えた人がいないまま、三年三カ月もの間、国政を壟断した結果、日本の民度と国力は歴史上かつてないほど低下し、国際的な信用を失墜してしまったことを、私は忘れることができないでいます。このような政党を委ねたことを、悔やんでいる人は今も少なくないと思います。

 国会という神聖な場で、相手を誹謗することによって自らの存在を誇示して正当化し維持していこうとする姿は、日本を貶すことによって自国民の目を自分たちの無能からそらし、政権を維持しようとする隣国の姿に似ています。

 野にある政党といえども、議員として多額の国費を受けている限りは、国家の役に立つ活動をしてもらいたいものです。役に立てないのであれば、少なくとも邪魔にはならないであってもらいたいものです。そして、もし現政権に国民が不信任を突きつけた時に、いつでも自信を持って堂々と受けて立てるような野党であってほしいものです。

 そのためには、代案もないのに何もかも反対するのではなく、大方の国民が望み、国家のために必要と認められる法案にはいち早く賛成可決して、国会の運営を円滑にすべきだと思います。相手を誹謗し、貶すことによってのみ自分の存在感を示し、それで事足れりとするのは、政治の世界だけであり、一般の常識では通用しないことを知るべきでしょう。

 メーカーが確固たる根拠をもって自社製品の優位性を主張することは許されますが、自信のある製品すらもたずに、あるいは無価値なものしか持っていない会社が他社製品を貶せば、その会社と製品の信用と品位は失われることになります。

 かつては高い志と理想を掲げて活動していたにもかかわらず、今の野党に身を置いているうちに輝きを失った議員が何人もいます。志の低い組織の中で良心をねじ曲げ、押さえ続けているうちに、自分を見失ったのでしょう。人は良心に逆らっていると、次第に覇気を失ってしまうものなのです。

 もし、少しでも良心が残っているのであれば、一度野に下がり、外から今の政治を少しでも変えていこうとするぐらいの気概を見せて欲しいものです。日本がよりよい未来を切り開いていくためにも、それを支える人々の意識の改革を願わずにはおられません。