安定・平和社会の実現を求める(2017/11/1)

第48回衆議院総選挙は「自公の安定政権」継続を国民が選択

 10月10日告示、22日投票で行われた第48回衆議院議員総選挙は、投票日に台風21号が日本列島を通過する雨風に襲われながらも終了した。

 結果、衆議院465議席のうち「自民党」284議席、「公明党」29議席で、政権与党が313議席で、3分の2のいわゆる安定多数310を超える議席を確保した。野党第1党としては選挙前「民進党」参議院を残して解党され、急遽結成された旧民進党のリベラル派と言われた連中の「立憲民主党」が55議席、旧民主党の中で保守派とも捕らえられた連中が、小池東京都知事が設立し吸収された「希望の党」が50議席、「共産党」が12議席、「日本維新の会」が11議席、「社民党」が2議席、元民進党だが希望の党から拒否された方や、自民党などで問題を起こし離党など、各種の事情を抱えた人が「無所属」22議席であった。

 9月28日の急な解散から、小池東京都知事が安倍政権を批判、政権交代の対立軸を作ると見栄を切り、「希望の党」を立ち上げ、小池劇場の幕開けに、民進党の前原代表と連合が「党の名を捨てても実をとる」と駆け込んだのだが、小池党首が入党を選考するが、拒否をする人も出ることになり、拒否された連中が「立憲民主党」を立ち上げたことにより、小池劇場はシナリオがガタガタ、政権批判の波が、野党の足並みの乱れで、逆に政策もまとまらない野党として国民に期待は影をひそめてしまい、政権の安定を国民は選ぶことになった。そうなるのは当たり前のことだ。

 批判ばかりで対案も示さないずるい姿勢には、先の民進党の党首として、「レンポウ」さんが、再選されなかったことで実証済みではないか、野党の皆さんの学習能力の無さにもあきれる。
いずれにせよ、国の内外とも気を抜けない状況に、毅然と対応の必要がある。

 自公政権で国民への約束・提言をしっかり責任をもって説明責任もしっかり果たしながら、進めて欲しい。

国雨降って地固まる、しっかり根を育て、実を結ぶ

 ところで10月は秋祭りで1年の平安や五穀豊穣を神々に報告し、見守ってほしいとお祈りする氏神様のお祭りの日々だったのだが、各地で今年は連日雨で、御神輿も仕える人も合羽にくるまって行われた。

 正に雨で清められたのだろうと思える状況だった。列島の各地でもいろいろな災害が起こっているのだが、雨降って地固まり、安定した国土となり、万物の命をしっかり育み、実りを導くことに繋がって欲しいと、お祈りするところだ。

礼節を知り栄辱を知ることの難しさ

月刊『致知」2017.11月号【巻頭の言葉】より引用 數土文夫(JFEホールディングス特別 顧問)

 欧米のものをありがたがる戦後日本の風潮の中で、名門企業を率いるリーダーたちが、先人が大切にしてきた東洋の英知に触れる機会もなく、道を失っていくのであれば、返す返すも残念なことです。

『倉廩実つれば すなわち礼節を知り』

 私がこの三十年来、とりわけ強い関心を抱いてきた東洋古典の一つが『管子(かんし』です。『管子』は、中国の春秋時代に栄えた斉(せい)の国の宰相・管仲(かんちゅう)の言行を記した書物です。

 管仲はいまから二千二百年~二千五百年前の、孔子よりもさらに百五十年~百八十年ほど前の人で、主君である桓公(かんこう)を補佐し、一介の諸侯にすぎなかった斉を一大強国に至らしめた名宰相です。親友の鮑叔牙との友情を表した「管鮑の交わり」の故事でもよく知られています。

 管仲が、自分の主君を亡ぼした垣公に仕えたいきさつや、施政における物質優先の考え方などから、儒家を中心に管仲を批判的に見る向きもあります。しかし、単なる思想家ではなく、責任ある政治家として現実の様々な問題に処していく中で練り上げられたその考え方は刮目に値します。

 日本でも、『管子』は広く読まれていました。黒田官兵衛、二宮尊徳、上杉鷹山、西郷隆盛、山田方谷、渋沢栄一等、強く影響を受けていたと思われます。

 管仲の考え方が端的に示されているのが次の言葉です。
「倉廩(そうりん)実つればすなわち礼節を知り、衣食足ればすなわち栄辱(えいじょく)を知る))
(倉の中の品物が豊富になってくると、人は初めて礼節を知る基盤ができ、日常生活に必要な衣食が十分足りてくると、初めて真の名誉、恥辱が如何にあるべきかを知る基盤ができる。)

 管仲は、一国の支配者たるものは、まず四季を通じて生産計画を円滑に進ませ、経済を豊かにさせるように配慮しなければならないと説きました。物資が豊富な国には、どんなに遠くからでも人民は集まってくる。政治は人民の支持があって初めて成り立つものであり、人民に手厚い豊かな社会を築くことこそが、人心を掌握し、国に道徳をもらたす基盤ができると考えたのです。

 私は父の影響で子供の時分から古典に接してきましたが、ビジネスマンとして不惑を迎える頃に改めてこの『管子』を紐解き、孔子よりも二百年近く前に。こうした高い意識で国を治めていたリーダーがいたことに、深い感動を覚えたものです。

『まず人民に与えることに重きをおく』

 管仲は、次のようにも説いています。
「予うるの取りたるを知るは、政の宝なり」
( 取ろうとするなら、まずは与えよ。これこそ政治の秘訣といえよう。)

 彼は、物価のコントロールこそ治国の要と喝破して、米価などの統一を図るとともに、租税の軽減、独占の排除、物流の充実、貧困救済、遺族手当などの実施を説き、まず人民に与えることに重きをおいて国を安定させるように尽力したのです。いまから二千七百年も前にこうした政を行った菅仲の慧眼に、わたしはいたく感銘を受けるとともに、菅仲こそはまさしく経世済民の実践者であると考えます。

 最近相次いでいる名門企業の凋落は、トップが権力欲や利己心に囚われて現場への関心を失い、時代の変化について行けなくなったところにも真因があると感じます。

 組織のリーダーがこうした愚を犯さないために、様々な英知を授けてくれるのが、『管子』をはじめとする東洋古典です。そこに収められている先賢の教えの要点は、己を修め人を治める「修己知人」、世を治め民を救う「経世済民」、人間関係の対処法である「応対辞令」に集約され、この複雑な現代にも通ずる普遍性に富んでいます。ハーバードやオックスフォードなど世界の一流ビジネススクールで、最先端のリーダー論として教えられているようなことは、実は東洋では何千年も前から説かれていることなのです。

 とかく欧米のものをありがたがる戦後日本の風潮の中で、名門企業を率いるリーダーたちが、先人が大切にしてきた東洋の英知に触れる機会もなく道を失っていくのであれば、返す返すも残念なことです。

 倉廩実ち、衣食足りれば、自ずと礼節を知り、栄辱をわきまえた人物たり得るかと言えばそうではなく、それは必要条件にすぎません。リーダーたる者、日々たゆまぬ精進によって人間を磨くことが大事であるとは、先賢が繰り返し説いてきたことです。

 私たちはいま、東洋の古典を通じてそうした尊い教えに学ぶべきではないでしょうか。