皇紀2679年(2019/2/1)

「建国の日」御代替わり前に「今上陛下御即位30年」に感謝を

 2月11日は建国記念の日。
 我が国のいわば誕生日であるからみんなでお祝いし、日本書記に基づいた神武天皇建国御即位から2679年の悠久の歴史を踏まえて、今日があることの有難さや重さを考えてみる機会として、捉えたいものだ。

 また、今年4月30日で自らの御意志も示され、退位され上皇となられる今上陛下の御即位(ご在位)30年にも感謝の誠をささげる機会でありたいものだ。日本国の象徴としてそのあるべき姿を、自ら謙虚に求め務めて戴いていることには、先の会見でもそのお気持ちを十分拝することが出来た。
国民こぞって感謝の誠でお応えしたいものだ。

県議会活動6期目に向け、4月の統一地方選挙に臨みます
皆様のご支援・ご指導を引き続きよろしくお願いします

 さて、先月も書かせていただいたが、今年は4年に一度の統一地方選挙の年でもあります。1月26日後援会の皆さんもお手配もいただき、前回、前々回と選挙対策事務所を開いた場所(西条市樋之口383)で、今回も開設いたしました。

 6期目の選挙に臨むにあたり、5期目の取り組みの際に示したものと時代の背景状況は、4年経っても殆ど変わっていないことに、あらためて気が付き、残念にも思う。

 最大の課題である人口減少は歯止めがなく進んでいる。結婚あっせん紹介支援(愛媛の縁結び事業はこのほど1000組目が達成)や、子育て支援、産み育て支援にと(紙おむつ支給事業も実施)各種の取り組みもしているのだが、回復はとても難しい。2040年には日本の人口が1億人を割りこむと予測されているが、労働力人口の減少は国家の衰退を招くもととなる。後継者・担い手づくりに「働くことの尊さ」の心を備えた人材育成が必要だろう。

 災害も次々とおこり、後処理に追われるばかりだ、この根本は(地球)環境汚染につながっており、目の前の対策では手が届かない問題でもあるのだが。危険個所の予知・予防対策で、被害を少なく抑える点検を日頃から怠らず実施が必要だろう。里山保全や、河川堆積土砂の撤去や活用の取り組みなど、私は提唱を続け各所で成果も出ているのだが、手を緩めず実施しなければならない。

 海の環境回復をと訴え、燧灘の魚介類の絶滅防止に取り組べきとの私の提唱に応え、環境や生息調査をこの5年間も続けて取り組まれ、改善の手立ての見通しもつき始めたが、息長く取り組む必要がある。みんなで回復への信念を持ってこれからも取り組まねばならない。

生かそう!地域資源・・・来年度西条・新居浜・四国中央の3市をまとめた地域で「きらめくモノ・コト探し」で地域ブランドづくりに取り組み、豊かで誰もが住みたいと思う地域づくりに努め、東予地域の実需創出や観光などで元気の創出をに取り組みたい。

守ろう!水と安全・・・暮らしと産業の源である「西条の宝―水」を守り生かします。防災・減災対策を切れ目なく実施し整備し、救急救命体制の充実を図り、命や財産を守ります。

育てよう!人と産業・・・官民が知恵と力を寄せ合い「結婚・子育てをサポート」「福祉の充実態勢」の整備をします。IT/AIを活用した次世代産業を育成し、地域産業の底上げと発展を推進します。

 教育・スポーツ・文化の振興と充実により、心も身体も「健康人」の育成に努めます。
この3つのコンセプトポイントを理念として、具体的政策の推進に皆さんの知恵もいただきながら、精いっぱいの努力を傾け頑張る決意です。

皆様のご支援ご協力を、引き続き賜りますようお願いします。

必ず攻め

月刊『致知」2019.2月号【巻頭の言葉】より引用 
數土文夫(JFEホールディングス特別顧問)

『精神の屈辱に耐え大業を成し遂げた司馬遷』

 『史記』の編纂で名高い司馬遷は、紀元前2世紀、前漢武帝の治世に活躍した人です。
 司馬遷は20歳ごろ、父・司馬談の勧めで各地の古い史跡を訪ねて記録を収集し、見聞を蓄えました。父の後を継いで国家文書の起草や典籍などを司る大師令に任じられると、その遺言を受けて通史の編纂に着手しましたが、時同じくして前漢の将軍・李陵が匈奴と戦って敗れ、捕虜になる事件が起きました。

 李陵の処分を決める武帝臨席の場で、司馬遷は一人李陵の奮闘、勇敢さ、忠節を挙げて弁護したため、武帝の怒りに触れて宮刑に処せられました。しかし、彼はこの屈辱、精神の打撃に耐え、通史の著作に一生を捧げ、遂に『史記』百三十巻を完成させたのです。

司馬遷は、この『史記』の中で孔子を最高に評価し、歴代の世家(諸侯)列伝の中に特別に孔子世家の項を設けています。若い頃から世の辛酸を嘗め、何年も国々を放浪しながら、治世者は人徳を持って世を治めるベきとの不動の哲学を世に広め、人材育成に努めた孔子を讃えてのことです。

 孔子の「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」に自分を重ね、強く共感したのではないかと私は想像します。

『攻める精神 前向きな精神こそ肝要』

 司馬遷は『史記』の「孫氏呉起列伝」に、孔子とほぼ同世代の孫武と、約百年後の孫臏についても記しています。
有名な兵法書『孫子』は、この孫武と孫臏のどちらがその著者かという議論が長きにわたりなされてきました。しかし一九七二年に前漢初期の墳墓から出土した多数の竹簡により、両者による兵法が別個に実在したことが確認されました。

 『史記』によれば、孫臏もはたその生涯において耐えがたい屈辱に遭遇しながら、その名を後世に残しています。孫臏は若い頃、ともに学んだ友人の龐涓の詐術にかかって魏の国におびき寄せられ両脚切断、入墨の刑に処せられました。しかし、その直後に隣国·斉の威王に救われ、将軍·田忌の軍師に迎えられると、その期待に応えて魏に大勝し、軍師·龐涓を破滅させました。

 出土した竹簡によれば、軍師·孫臏に対して田忌が、国家百年の計に関わる用兵に何が重要かと問い質したといいます。賞か罰か、権威か勢いか、謀略か詐術か、と畳み掛ける田忌に対し、孫臏はいずれも本質ではありませんと答えます。田忌がムッとしたところで、「必攻不守」(必ず攻めて守らず)、即ちトップの攻める精神、前向きな精神こそ肝要だと説いたのです。

 約二千四百年前の孫臏のこの教えは、二十一世紀を生きる私たち日本人一人ひとりが刮目すべき示唆を与えてくれていると私は考えます。戦後の焼け跡から立ち上がり、ジャパン·アズ·ナンバーワンと謳われるまでに大躍進を遂げた日本は、バブル崩壊で一気に自信を失ってしまいはした。

 海外への留学生数が中国人は増加しているのに対し、日本人は減少傾向にあるなど、総じて守りに入ってしまった平成の時代は、失われた三十年の誹りを免れません。

 そうした中でも、世界を舞台に果敢に挑戦する日本人もいます。羽生結弦選手、大谷翔平選手、大坂なおみ選手など若い世代の目覚ましい活躍。あるいは、八十歳で世界最高峰のエベレスト登頂を成功させ、今年1月、南米最高峰のアコンカグア登頂に挑戦される三浦雄一郎氏の生涯現役で前進し続ける方々の姿には心を奮い立たせられます。

 歴史の淘汰に耐えて長く読み継がれてきた古典は、人間が直面する様々な問題に貴重な示唆を与えてくれます。孫臏が説いた国家百年の計は、人生百年時代のいまを生きる私たちの指針と捉え、一人ひとりが攻めて守らずの前向きな精神を持って歩むことによって、日本の未来は大きく開けていくと私は信じています。