天の川が渡れるか?(2020/7/1)

「人・物・金・情報の自由な移動に制限が起きた後の世界はどうなるのだろうか? 今後の世界協調の課題に冷静に向き合おう。

 新型コロナウイルスの猛威は世界を駆け巡り、全世界では1000万人(6月末時点)以上の感染者を出し、死者が50万人を超えました。それぞれ国で蔓延防止の対策が行われ、経済活動が止まり景気にブレーキがかかることになりました。しかし、ブレーキのかかり過ぎを恐れた結果、結局は拡大を防ぐことはできませんでした。

 本来ならそのための調整機関である「WHO」が、統一見解と防止策をいち早く徹底できず、中国との利害関係も見え隠れし、信頼も失い、各々が勝手な都合の対策に終始してしまいました。

 幸い10年前のサーズやマーズの流行に対策経験の有る、わが国をはじめ先進地域は初期対応が比較的早く、封じ込めに一定の成果を上げてはいるものの、経済社会活動の減退のため手を緩め、第2波の感染拡大に繋がっているところもある。
 
 やはり手を抜かず拡大防止に努め、新薬など対処方法の確立を1日も早く見つけ出し、人・物・金・情報の往来が国際流通面でも、正常に機能し、回復することが大事だろう。

 ただし、今回を教訓に国際的交流で注意を要することは、やはり中国の大国覇権主義で、我が国の製造業でも中国の依存度が大きくサプライチェーンの機能構築に反省を加え、特に食料の依存度を中国に過度の偏りをしないようにしなければならないと思う。

 一方対米関係についてもトランプ手法に注意を払って、押し付けの煮え湯を飲まされないように対米関係をうまくパートナーシップを図ることも必要だろう。

 夜空に輝く天の川を渡って、彦星と織姫がうまく逢瀬を実現できるような、世界平和への架け橋を築ける環境社会づくりを目指そうではありませんか。欲やエゴのぶつけ合いをしていては、この感染症対策にもつながらず、益々経済社会も落ち込み、立ち上がれず、紛争の繰り返しの連鎖になることだけは避けなければなりません。

 自分を守ることは、みんなを守ることにつながるとの信念で、弊害には正しい知恵で対処し、みんなで無用な無駄を排し、安心・安全・安定の社会づくりを改めて考えましょう。国も地方も国民を救い、元気を取り戻すための施策に予算も組み取り組んでいます。砂漠で水をまくようなことにならないように、オアシスが創れるように投資を生かしましょう。

  

人にして 遠き慮無ければ、必ず近き憂い有り
    ~「論語」衛霊公第十五

月刊『致知」2020.7月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問   數土 文夫

『非常時に求められるリーダーのあり方』

 二十一世紀に入り、世界には金融機関・自然災害・貿易戦争・技術革新など、多種多様な難問が続出しています。そんな中、新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、厳しさは増すばかりです。私は終息・回復までに数年を要すると見ていますが、企業は規模の大小を問わず、いつ潰れるか分からないと覚悟してかからなくてはなりません。

 古来、国家や企業をはじめとするあらゆる組織にとって、「リスク管理」と「危機管理」はその存続に関わる重大事でした。

 「リスク」と「危機」は同じ意味だと思われている方が多いかもしれませんが、異なっています。「リスク」は近い将来起こり得る危険や異常事態のことで、「危機」は現実に発生してしまった危険や異常事態のこと。共に「管理」と言っているのは、具体的には対処法であり、実践そのものだからです。そこには大きな負担や犠牲を伴いますし、取捨選択のスピードこそ肝腎。碩学(せきがく)・安岡正篤(やすおか まさひろ)氏の「六中観(りくちゅうかん)」に「死中活有り(しちゅうかつあり)」とあるように、トップは己を捨てて初めて果敢な決断ができるのです。

 こういう非常時には特に、先人の多様な事例を学んでいるかどうかが、成否の分かれ目になるでしょう。何かにつけて「想定外だ」と言う人は、「自分は歴史を学んでいない」と告白しているようなものです。

 十八歳で鎌倉幕府の執権となり、蒙古襲来の危機から日本を救った北条時宗は南宋の禅僧・無学祖元(むがくそげん)に教えを乞い、同様に十七歳で米沢藩主となり、困窮していた藩の財政再建を成し遂げた上杉鷹山(ようざん)は儒学者・細井平洲(へいしゅう)に師事し、共に十代の時に漢籍の素養と実践の基礎・重みを修得しました。

 徳川家康にしても幼少の頃に禅僧・太原雪斎(たいげんせっさい)の感化を受けています。家康に比して織田信長や豊臣秀吉がその晩年、リスク管理と危機管理に欠けていたのは、師と呼べる人物に恵まれなかったこと、さらには、『貞観政要(じょうがんせいよう)』などを読んでいなかったことに因るでしょう。

 十代までの学び、特に古典を中心とした読書が思索や精神修養を深める上で重要な役割を果たしていたことが窺(うかが)えます。
 

『日本の将来のためにいま為すべきこと』

 ちょうど百年前、世界はスペイン風邪に席巻され、全体で感染者五億人~六億人、死者二千万人~五千万人を記録しました。日本でも感染者約二千三百万人、死者三十八万人といわれています。各国はその時の体験を今回のリスク管理・危機管理に十分生かすことができなかった、と言わざるを得ません。

 新聞報道によれば、新型コロナウイルス感染拡大の影響で休園・休校となった幼児から中学生までの保護者を対象に、ある大学院の准教授が子供の一日の過ごし方について調査したところ、増えた時間はテレビやビデオ視聴(八十%)、インターネット動画視聴(六十二%)、ゲーム機器利用(五十二%)で、読書の項目はありませんでした。
また、全国大学生活協同組合連合会の最新調査では、一日の読書時間がゼロと答えた大学生は四十八%と報告されています。

 エズラ・ボーゲルは一九七九年、日本の高度経済成長の要因を分析した著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』のなかで、
「日本の成長基盤をなすものは、その高い学習意欲と読書習慣である。」
と述べ、一国の経済的隆盛の主因をその国民の学習意欲と読書習慣にあると喝破しています。凄まじい見識だと思います。

 国や企業の存亡に関わるリスク管理と危機管理には、健全な国家観・歴史観・倫理観が必要です。それまで読書をほとんどしてこなかった人が、組織の要職に就いたからといって、急に国家観・歴史観・倫理観が湧き出てくるはずはありません。

『論語』に次の章句があります。
『人にして遠き慮(おもんばかり)無ければ、必ず近き憂(うれい)有り』
(目先のことに囚われず、先の先まで思いを巡らせてない者にとっては、必ず近いうちに思いがけない難事が起こるものだ)

 幼少期の読書習慣こそ、遠き慮りの原点だと思います。人生百年時代になればなるほど、孔子とエズラ・ボーゲルの言葉はその重みを増してくるのです。

 日本の将来のために、外出自粛のいまこそ子供に読書習慣を身につけさせる。
それにはまず親自身が読書を楽しむ姿を背中で示すことが遠き慮りではないでしょうか。

 幼少期の読書習慣こそ、遠き慮りの原点だと思います。