平和を守るには?(2022/6/1)

ロシアのウクライナへの戦闘攻撃いまだやまず。
北朝鮮のミサイル発射実験が繰り返される。
危険といつも隣り合わせの状況に、国民こぞって考え取り組もう。
参議院選挙を通じても、正面からみんなで考え取り組もう。
「平和を守り、戦争は許さない!その心を社会に体現しよう」

 令和4年2月、突然「ロシア」のプーチン大統領が、「ウクライナ」に一方的に軍事進攻を命じて戦争を仕掛けた。今も連日市街が破壊され、大人も子供も無差別に命が奪われている光景がテレビニュースなどで映し出され、胸痛く目をそむけたくなる現実に私たちは直面しています。

 我が国も先の大戦で悲惨な体験をし、2度と繰り返してはならないと「平和」維持に努めてきました。「戦後」がもう75年を経過し驚異の経済的な復興も果たし、今や戦争体験の無い世代が殆んどになった。テレビ映像での悲惨な状況は見えても実感としてとらえられず、どこか他所事として空虚に見過ごしている面がありはしないでしょうか?

 全世界も先の大戦を反省し、全てを破壊する核戦争の危険を回避するため国際連盟も組織し相互牽制能力を発揮し、一応冷戦状況の国際秩序が保たれて来たが、今回は専制国家の権力者(プーチン大統領)の暴走ともいえる身勝手なプロパガンダのために、兄弟国であるウクライナ国民並びにロシア国民の命さえが失われています。

 平和を守るため、私たちが戦うべきはこの身勝手な醜い権力志向であり、自由、民主主義、基本的人権、法の支配による秩序の維持、という基本的価値を共有する人々や、国々が連帯・連携して厳しく、この身勝手で醜い心の支配に、立ち向かう必要があります。

 これを見過ごせば、やがて世界各地で、身勝手で秩序を崩す紛争が起こりかねません。我が国や世界がこの現状をしっかりと受け止め、平和を守るための備えと行動を確立することが必要でしょう。よからぬ企みは自分ではなく、他人(他国)がするものとの見識が必要です。

 新型コロナ感染症のまん延と対策で、この2年間未知の疫病との戦いに翻弄され、世界も含め我が国も取り組んできました。未だ収束に至っていませんが、この戦いも自己防御の姿勢や、他人にうつさないための姿勢の有りようが問われ続けてきました。

やはり『生きること、命を守り尊ぶ』基本となるのは家族であり、先祖があってこそと、神に感謝の心を繋ぐことが最も大切だと私は思います。

 日々社会はICT化が進行し利便が向上していますが、人の心「愛情」や「誠の心」は不変であって欲しいしその心を社会に体現しましょう。

 6月22日から参議院議員の半数改選の通常選挙が行われます。これまで以上に国民の自覚を強くして我が国の根幹を築く立法府(国政)を築くため、国民一人一人が主権者の自覚と責任を果たす選挙となるよう、必ず投票を行い、未来を切り開く機会といたしましょう。

逆境に耐える

月刊『致知」2022.6月号【巻頭の言葉】より引用 
アサヒビール社友  福地茂雄

『他責に逃げ込んでしまった現代人』

「耐える」という言葉はもはや辞書の中にしか存在しないと私は思っています。
逆境と順境は、人生においても企業経営にとっても糾える縄の如し、より合わせた縄のように交互にやってくるものです。順境の時には逆境の芽が潜んでいる。一方、厳しい冬の寒さの後には、やがて暖かい春がやってきます。

 逆境は誰にもどこにでも例外なく訪れます。
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」

 トルストイ著『アンナ・カレーニナ』の冒頭の一文です。確かに、逆境はいつどのような形でやってくるか分かりません。人は誰でも少しの逆境の谷間を泳ぐと、世に自分ほど不幸な人間はいないと思いがちです。しかし逆境の世は底なしであり、どん底と思わされるような厳しい試練のその下には、さらに想像もつかない不幸が埋もれているものです。
 
 地震・津波・台風・洪水などの自然災害は別として、人と人の関わり合いから生じる逆境に際し、今日の日本人の多くは「耐える」ということを忘れてはいないでしょうか。

 歴史を繙いてみても、「耐える」ということはかつて日本人の美徳でした。それが飽食に慣れ、豊かな生活に包まれた、豊かな生活に包まれた今日、いつも間にかすべてにわたって「耐える」ことにより、「社会が悪い」「国が悪い」と自己責任を考える前に「他責」に逃げ込んでしまってはいないでしょうか。自分も責任の一端を担う社会人であり、国民であることを忘れてしまっているといえます。

『新訳菜根譚』(守屋洋著)に、
「『山登りはけわしい道に耐え、雪道は危い橋に耐えて進む』ということばがあるが、この『耐える』ということに深い意味が含まれている。人情はけわしく、人生の道はきびしい。『耐える』ことを支えとして生きていかなければ、たちまち、藪にふみ迷い穴に落ち込んでしまうだろう」とあります。

 第2次世界大戦の末期、寒い冬の日に靴下もなく霜やけやあかぎれだらけの手足で小学校の運動場を開墾し、軍人が食するサツマイモをつくったこと。自分は茎だけを食べながら、「欲しがりません勝つまでは」という標語を口にしてひたすら耐えたこと。そうした子供時代を思い出す世代も少なくなってきたのではないでしょうか。

『あきらめない、やめない、ここを去らない』

 「耐える」という言葉から想起されるのが、臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺師が愛知出版社より上梓された『人生照らす禅の言葉』の一節、「法遠去らず」です。

 浮山法遠禅師(991~1067)は若かりし頃、葉県禅師のもとへ入門するに際し、師の厳しい愛の鞭に耐え抜いて、師のもとを去ることなく、やっと入門を許された。この「法遠去らず」の逸話に深い感慨を覚えた、と横田師は書かれています。

 私の書斎の壁には、横田師が揮毫された禅語の日めくりカレンダーが掛かっており、「法遠不去」に次の解釈が書き添えられています。

「世の中を生きてゆくには、道理にかなうことばかりではない。『なぜ、こんな目に遭うのか』と悲憤慷慨することもある。しかし、人間の真価が問われるのは、むしろそんな時であろう。去る時の弁解はいくらでもできる。しかし、一言も発せずして黙して忍ぶことの貴さを知らねばならない。法遠という僧は、あらゆる苦に耐え師のもとを去らなかった」

 私たちは、すべてに恵まれたいまの時代に感謝すると共に、「法遠去らず―あきらめない、やめない、ここを去らない」という浮山法遠禅師の一徹の志を忘れてはなりません。

 逆境に際し、今日の日本人の多くは「耐える」ということを忘れてはいないでしょうか