つつがない越年を願う(2025.12.1)

=今年の跡を見つめ直してみましょう。平穏な明日を築き守るために=

 自然災害も頻発しています。南海トラフ地震は発生確率が80%と高く想定され「臨時情報」として、注意情報が流されるようになりました。気象の状況も、連日の真夏日が記録を塗り替え、日本の四季が感じられなくなりつつあり、海洋生物や植物の生態系にも変化が生じかかっているようです。

 国政においては、多党化の勢力構造が進み、衆参の両議院において、20年余続いた議席の過半数を維持する自民・公明の連立与党体制が崩れ、自民党と日本維新の会が連立を組んだとはいえ、閣外協力の不安定な状況にあります。

 時代はITによる産業革命が進み、あらゆる情報が溢れ、私たちの日常の営みの形態を変化させ、これまで培ってきた価値観さえ問い直させるような状況を生んでいると思われます。

 世界に目を向けても、ロシアのウクライナ侵攻も、イスラエルのパレスチナ和平もいまだ収まらず、世界環境会議もアメリカが参加せず纏まらず、アジア諸国の会議も中国の動静でまとまらず、協力より力の誇示の見せつけあいのような状況にあると言え、非常に危機感募る状況にあると私は危惧しています。

 人間も生物も弱肉強食の生存競争に常にさらされているとはいえ、私は共生共存共栄の社会を望み求めたいと思っています。勿論、競争は進歩の原点であり、時代の推進力として発展の重要な要因です。スポーツを例にしても、勝敗を争い健闘を称えあって、進歩と友情を培い真の人間力(友情)を確かめ合っています。

 今年も色々ありましたが、経験を糧としてみんなで知恵や力を出し合って補い合う、情の溢れる社会づくりに努め、次世代に希望の灯を守り育てましょう。誰かが言いました“やればできる”・・と!高市総理(自民党政権)の批判ばかりに終始することは、自ら国力を削ぐこととなり、国民の生活や、平和を守れないことに自ら手を染めることになります。皆で知恵を出し合い、力を寄せ合い、助け合い、安心できる平和社会を守りましょう。外国からの見えざる手により、2685年世界に比類なき歴史に基く国家と国民を、混乱に導き分断されるようなことがあってはなりません。

 今年は、県議会議員としての活動はもとよりですが、「西条ライオンズクラブの会長」や、地元の「伊曾乃神社の年番常務総代」の役割もさせていただき、皆さんに支えや協力をいただいて、色々な行事にも地域社会の生活活動に溶け込むべく取り組ませていただいています。
「感謝」の心、「笑顔」の大切さも検めて学ばせていただいています。やはり皆さんあっての自分があるのだということを、肝に銘じておきたいと思います。有難うございます。

宇宙船地球号という 一つ船に乗り合わせた 兄妹として

月刊『致知」2025.12月号【巻頭の言葉】より引用
愛知専門尼僧堂堂頭     青山俊董

~ 暁の明星を見て 悟られた釈尊 ~

 十二月八日は釈尊成道の日というので、全国の修行道場では臘八摂心といって、臘月(十二月) 八日間、厳粛に坐禅と提唱(講義)が行われる。

 釈尊は六年苦行の末、いたずらに肉体を苦しめることが本当の修行ではないと気づかれ、衰えはてた体を尼連禅河の流れで清め、たまたま通りがかったスジャーターから乳粥の供養を受け、体力の快復を待って、伽耶郊外の鉢羅樹の木蔭で坐禅を組まれ、十二月八日未明、明星の輝くのを見た瞬間に、お悟りを開かれたと伝えられている。

 その木の下で菩提(道)を成ぜられたの後にこの木が菩提樹と呼ばれるようになり、伽耶の町は仏陀(覚者) 伽耶と呼ばれるようになった。

 釈尊成道の言葉として「大地有情同時成道」という一句が伝えられている。すべてのものが劫初以来、天地宇宙総力をあげての働きをいただいて、それぞれの生命のいとなみをしているというほどの意味といただいたらよいであろう。

 南北朝時代、南朝の忠臣として活躍した九州の菊池一族の帰依を受けた大智禅師に「仏成道」の偈がある。「果満三祇道始成」が起句で、一般の読みとしては「果は三祇に満ちて、道始めて成ず」と読む。 三大阿僧祇劫という長い修行の末に、ようやく道を成ぜられた、というのである。

 永平寺貫首であった秦慧玉禅師と余語翆巌老師は「道始めより成ず」と読まれた。気づく気づかないにかかわらず、天地総力をあげてのお働きを初めからいただいて、一本の草も一匹の猫も、一人の人間も、それぞれの生命のいとなみをしているというのであり、過去完了形の読みである。

 しかし、気づかなければその生命を軽んじてしまう。今日世界中が人殺しの戦いを限りなくしているように。 「始めて成ず」と、「気づく」という未来形で読むのも大切だと思う。

~ 人類の文化は天地の声をどう聞いたかの歴史 ~

 同じく大智禅師の偈に「無情説法の話」と題するものがあり、起句は「無情の説法有情聴く」とある。草木国土、天地宇宙が、語りどおしに語っている言葉を、心の耳を開いて聞け、というのである。

 道元禅師がよく引用されるお話に「香厳の擊竹」と、「霊雲の見桃花」がある。香巌も霊雲も山の弟子 (中国・唐末)である。ある時、香厳が庭掃除をしていて、石が竹にカチッと当たった音を聞いて悟りを開いたという。

 また、霊雲は行脚の途次、たまたま峠の上から見渡す里のあちこちに桃の花が咲いているのを見て、年来の疑問が解けたと伝えられている。何かを縁として年来の疑問が解けたという良き例といえよう。

 洞山大師の言葉に 「無情説法不思議、若耳を持って聴かば終に会し難し、眼処に聞く時、まさに知ることを得ん」というのがある。草木の語らい、天地の声は耳で聞くのではなく、眼で聞けというのである。人類の文化は天地の声をどう聞いたかの歴史といえよう。 三十七兆個からできている人間の体の声を聞いたのが医学。大自然の声を聞いたのが科学や天文学となったといえよう。

~ 宇宙船地球号に乗り合わせた すべて兄弟 ~

 人間ばかりではない。草木も動物も、地上にあるすべての存在は、宇宙船地球号という一つの船に乗り合わせた兄弟姉妹として、いつくしみあってゆくべきものを、人類のみの利を優先しての独走が、いまや地球を破滅へと追いこんでいる。地球温暖化や弱小動植物の絶滅等の声をよく聞き、いかにあるべきかを本気で考えなければ、 人類もやがて亡びるであろう。

 道元禅師が「声なきを恨まず、耳なきを「恥じる」とおおせられているが、心の耳目をしっかりと開いて見、聞き、どうあるべきかを真剣に考え、実行していきたいと切に思うことである。