止めろ!止めるな!熟議を(2025.8.1)

先の参議院議員選挙で与党(自民・公明)が過半数を割り込んだ。国民民主党・参政党が議席を増やし、多党化も進んだ。

 7月20日の投開票で実施された参議院議員の改選選挙で、自民党・公明党の政権与党は大きく議席数を減らした。非改選組と合わせても122議席(過半数は125議席)となり、衆議院と同じく過半数を割り込み、石破政権は厳しい政権運営に迫られることとなった。

 先の衆議院選挙でも今回の参議院選挙でも大敗を喫し、自民党議員の議席数を大きく減らした選挙結果を受け、石破首相に退陣を求める表明が地方の自民党支部からも出され、また国会議員の中からも退陣を求める声や動きが強くなっている。

 だがアメリカとの関税交渉、経済の先行きやエネルギー問題・国際和平や食糧・地球環境問題など、課題への取り組みが1日もおろそかにできない要因がある。政権には国民に対しての最重要課題に取り組む渦中にあり、政治の不安定や空白を創る時ではないと、私は先に行われた愛媛県連の選挙総括会の中でも申し上げた。勿論運営責任は執行部には問われなければならないし、けじめは必要です。その痛み苦しみは執行部には痛いほどわかっているでしょう。ただやめろ!やめろ!では前に進みません。

 与党内にも野党にも、俺がこの難局打開を引受けよう!と責任感の有る声も姿勢も見当たらないのは国士集団としては情けない。さらに野次馬のように小石ばかりを投げ込んで、混乱を煽るばかりで、明日や未来への責任の見識もない国会は、国民皆で見識を取り戻さなければならない。

 ところで先の参議院選挙で愛媛選挙区では、自ら郷土と国の未来づくりに取り組みたいと、自民党県連の公募に応じ選挙戦に挑んだ「うえの由佳」さん。選挙戦も最後まで、自分の志や明日への挑戦、政策を語り、訴え続け頑張りとおしました。結果は「うえの由佳」さんへの評価を問われることなく、現状の我が国(自民党政権)の政治状況への関心に注目が集まり、「うえの由佳」さんの姿勢や想いを生かせる結果に結ぶ事が出来ず、大変申し訳なく思います。

 だが彼女は、そんなことに悔しさを見せることもなく、ただ愛媛のため(日本の)に役に立ちたいとの思いで、まだ始まったばかりなので今後も頑張りたいとの強い意志が示されています。私たちも責任をもってこんな志や見識の強い人を引き続き応援しなければ、彼女に申し訳もないし、愛媛の為にも日本の為にもなりません。どうかご理解ご支援を皆さん宜しくお願いします。

 民主主義や・自由人権のあり方が、世界の潮流としても私はおかしくなっている時代に進んでいるように思えるし、現実がみられます。物質の豊かさの追求は、いつしか自分主義に向かいつつあるようで、今世紀に入ってからは、全体との調和を求めるべき民主主義の思想を、崩しかかっているように思えてなりません。

 民主主義は少数意見も無視はしないが、過半数の意見で集約すべきです。特にインターネットの普及と進展は、人としての判断力がスピードに追いつかず混乱させています。社会人としての善悪判断が適切なのか?判断能力のスピードが限界を超えさせてしまっているようで、犯罪や事件も多発しています。家族は何よりかけがえのない頼るべき集団であり、守るべき形です。 

 お盆を迎えますが、自分の命は脈々と親やご先祖様から頂いているものです。
感謝の心を忘れず、先祖の供養もさせていただきましょう。

賢人と悪人との別は、学ぶと学ばざるとによりて 出来るものなり ―『学問のすゝめ』―

月刊『致知」2025.8月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

~ 我が国に複式簿記を紹介した 福澤諭吉の見識 ~

 一八七三(明治六)年、維新直後の日本にとって画期的な商売の実学書『帳合之法』が出版されました。これは日本初となる複式簿記の紹介本で、当時アメリカの商業専門学校で使われていたテキストが原本です。

 翻訳・紹介者は福澤諭吉。 これからの日本の商業、実業発展の要になるものと確信した見識、炯眼には驚くばかりです。

 福澤諭吉は一八三五年、豊前中津藩(現在の大分県中津市)の下級武士の二男とし大坂の蔵屋敷で生まれました。家禄は十三石、二人扶持。 兄一人、姉三人。 一歳半で父が亡くなり、一家六人で中津に帰るも生活は困窮を極めました。

 諭吉が後年記述した 『旧藩情』によれば、中津藩の武士は約千五百人。これが上等(上級武士)と下等(下級武士)にほぼ二分され、同じ君主に仕えていました。その身分差は甚だしく、上等と下等の婚姻などあるはずもなく、下士が上士に往来で会えば、雨中といえども下駄を脱いで路傍に平伏する法あり、と記しています。

 上等士族の家禄は二千石から百石、二百石まで。実際は二十石から三十石が最も多かったようですが、それでも家族の衣食に差し支えなく、子弟にも教育を施すことができました。しかし下等士族は大概が十五石三人扶持、十三石二人扶持でも正味は八石から十石に上りませんでした。子供三~五人、さらに老親あれば衣食を給するに足らず。家をあげての内職は必然で、内職が本業でお務めが副職の感すらあったといいます。しかも福澤家は父亡き後十石に減ぜられていました。

 諭吉が後年、「人は生まれながらに平等、優勝劣敗は学ぶか学ばざるかによらなければならない」と説いているのは、こうした厳しい生い立ちからくるものであることを、この『旧藩情』は想起させてくれます。

 諭吉は十八歳で長崎に遊学し、二十歳で大坂の緒方洪庵の適塾に入門しました。 二十二歳で適塾の塾頭となり、 蘭学の習熟に尽力。理科実験など積極的に行い、実学を重視する姿勢が窺えます。

 特筆すべきは一八六〇年、二十五歳の時に咸臨丸で渡米したことに始まり、一八六二年には幕府の文久遣欧使節に通訳として随行、さらに一八六七年、幕府の軍艦受取随員として計三度の米欧訪問、視察を体験していることです。 米欧の現状を直接見聞することによって、彼我の文明、富、国力の圧倒的な差を肌で感じ、恐怖心を抱いたものと思われます。

 そして帰国後には、『西洋事情』 『学問のすゝめ』 『文明論之概略』 『脱亜論』等、膨大啓蒙書を刊行。欧米列強に植民地とし呑み込まれないよう、必死の思い、行動だったと思います。諭吉はこの一連の書籍を通じて、「活用なき学問は無学に等しい」ことを終始一貫訴えています。

~ 「人、学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」 ~

 『帳合之法』に戻ります。 諭吉が同書で紹介した複式簿記は、十五世紀イタリアの数学者ルカ・パチョーリによって発明されました。

 かの天才レオナルド・ダ・ヴィンチに数学を教えたといわれるパチョーリの複式簿記の発明は、人類の財務記録に多大な進歩をもたらしました。 特に貸借対照表や損益計算書といった財務諸表を作成できることから、事業の財務状況を正確に把握できるだけではなく、経営判断のレベルを高めることに大きく寄与しました。

 二〇一二年、東京都知事を退いた石原慎太郎氏は、自身の回想録の中で「私のやった最も重要な改革は、財政再建のため、従財政再建のため従来の都庁の会計制度を単式簿記から複式簿記に一変させたことだと思います」 「都はそれをやり出して非常に合理化されたし、財政再建できた」と振り返っています。都は、複式簿記を導入することによって所有する資産を精査し、合理化、効率化を実践できるようになったのです。

 翻って、財務省、就中衆参予算委員会は無惨です。国民の生活が困窮を極めているにも拘らず、企業はもちろん、他の先進諸国でも当たり前に導入されている複式簿記が導入されていないため、予算の運用状況は極めて不透明です。国の貸借対照表も示さず、負債と資産の対比も示さず、日本の財政状況はギリシャより劣等という一国の首相のひと言で審議は終え、国の内外から国辱と断ぜられています。

 「人、学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」。我が国の国会の予算委員会、財務省には、諭吉が引用したこの『実語教』の言葉を噛み締め、ルカ・パチョーリの発想の原点、思想を学んでほしいものです。

 愚人のままではいけない。低迷の続く我が国の現状を鑑みるに、そう願わずにはおられません。