民、信無くんば立たず(2024.10.1)
実りの秋を 見つけよう!
今年の夏も連日異常な暑さでしたが、やっと秋を迎えましたね。
五穀豊穣の秋を迎え、各地の氏神様で報恩感謝のお祭りを斎行し、平穏無事をお祈りしましょう。
能登半島での自然災害被災の被災地支援に協力しよう!
能登半島では、今年の元日に大地震に襲われ未だに復旧復興・生活再建もままならない状況の中にある上に、先の9月末、台風14号が線状降水帯を引き起こし、がけ崩れや河川氾濫で地域が壊滅的被災し、まさしく心も折れると言われる被災状況です。あきらめず頑張れるようみんなの支援が必要です。
但し、色々な支援の方法が色々呼びかけられると思いますが、火事場泥棒のような詐欺に遇うことなく公的機関を確かめて支援しましょう。行政の支援は特例的にも厚い支援が必要です。
第28代自民党総裁に「石破茂(67)」さん就任
自民党では総裁任期の改選が9月12日告示、27日開票の日程で行われました。岸田文雄現総裁が不出馬を宣言し、20人の立候補のための推薦人を確保した9人により総裁選を実施。それぞれの政策所信を党員・党友、更には公開で国民にも訴え「日本の未来を守り抜く」と政治改革をはじめ、5つの「守る」を公約として訴えられた「石破茂」さん(67)が、9月27日の党大会で第28代の自民党総裁に選ばれ、10月1日の臨時国会で第102代の内閣総理大臣に指名されました。
この総裁選挙で志と政治経験をもとにした国民に信頼と協力を求められる政治に対する識見を、各候補者が示され自民党支持者はもとより国民が、自民党や国会での責任ある政治活動への理解度を検めて深められたものと思います。
改革すべき課題も山積していますが、批判ばかりを政治課題として取り組む野党との見識の違いも国民の皆様には見られたのではないでしょうか。
新しく組閣された内閣は法に基づく国家行政に責任を持ち、世界の同盟国とも連携して平和維持のために国民生活を守るために、諸課題に取り組んで欲しいと思います。
私たちも主権者の一人として自覚をもって、安定政権を守り、国民生活の充足を果たすために、連帯して頑張りましょう。
歴史に学ぶ
― わが国の真の姿を取り戻し、先人のご恩に報いる道 ―
月刊『致知」2024.10月号【巻頭の言葉】より引用
高千穂神社宮司 後藤俊彦
~ かの大東亜戦争がアジアの国々にもたらしたもの ~
文明の発達と人口の増加は地球の温暖化と異常気象を招き、今夏は全国各地で記録的猛暑に見舞われた。歴史を振り返れば、わが国では天明二(一七八二)年から数年間、東北地方を中心に冷害が続き、大飢饉による餓死者は数十万人に及び、深刻な人口減少を招いた。浅間山や岩木山の噴火による陽光の減少が冷夏をもたらした原因とも言われている。
「時により過ぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめ給へ」という源實朝の和歌は、自然という超越的存在に対して祈るしか術のない人間の哀しみを感じさせる。古には、大自然のもたらす災禍は人間の犯罪に対する神の戒めと広く信じられていて、罪や穢れを祓い清め、誤ちを正し、正しき法に従って生きようとの教訓が生まれ、人々の倫理や道徳を育ててきたように思う。
八月十五日はわが国の終戦の日に当たる。大東亜戦争で大都市への空爆や原爆の投下により、二百二十万人余に及ぶ民間人犠牲者が出たことで、八月はお盆行事とも重なり〝慰霊と鎮魂の月”と称されるようになった。戦後のわが国が過酷な戦争と敗戦の経験から、平和国家の理想のもとに不戦の誓いをもって社会や経済の復興に専念してきたことは当然の成り行きであった。
しかしその後も世界各地で戦争や紛争がなくなることはなく、平和の祭典ともいわれるオリンピックの最中にもロシアとウクライナ、イスラエルとハマスとの間では熾烈な戦闘が繰り拡げられた。現在進行している戦争には慎みはなく、人道上国際法で義務づけられた民間人の保護などは無視されている。
人類の歴史に照らして戦争もやむを得ない政治問題の解決手段であれば、地上から戦争がなくなることはないであろう。 大東亜戦争にも反省すべきことは多くあったが、少なくとも日本軍によるあの軍事行動がなかったならば、当時植民地支配下にあったアジアの国々の独立とその後の自由と繁栄はなく、その実現にはさらに多くの困難と歳月を要したことも事実である。
日本の敗戦とその後の連合国軍総司令部による占領政策は、明らかにわが国の軍事的・精神的弱体化を目指したもので、その標的とされたものは皇室と神社神道であった。神社と皇室は共にその源流を辿れば神話と古典に行き着く。その伝統の流れを絶ち切るために学校教育では神話をはじめとする古典教育を禁止した。
公正さを欠いた東京裁判は戦争の責任のすべてが日本の誤った民族主義(ナショナリズム)と封建的体質にあることを印象づけるために行われた一種の復讐裁判であり、これ以降わが国は国際社会において侵略国家という汚名を着せられ、ハンディキャップを負った国家として戦後を生きてきたのである。
~ 真に強い心と魂は歴史への愛と誇りに求められる ~
キリスト教文化の国ともいえる欧米諸国は自由と民主主義を近代国家の普遍的条件としているが、世界の国々と民族にはそれぞれの歴史から学んだ知的文化と歴史がある。
私はある学会の席でヘブライ大学の著名な教授に「自由(フリーダム)」の語源について尋ねたことがある。その教授は自由という語の初見は旧約聖書の出エジプト記”(モーゼに率いられたユダヤの民がエジプトを脱出する物語)にあり、それは神の摂理 (意思)に従うという意味だと教えられ、驚いたことがある。自由という同じ表現を使ってもその意味するところと語源には大きな相違がある。
アメリカ合衆国の第三十五代大統領ジョン・F・ケネディは就任時の記者会見で、尊敬する日本人として上杉鷹山の名を挙げて日本人記者驚かせた。
八歳で米沢藩・上杉家の養子となった鷹山は、財政の悪化で困窮していた藩政の改革を断行し、国の司たる領主は民の父母として領民のために愛をもって仁政を行うべき、との信念を貫い江戸時代の封建領主である。またわが国の天皇は権力ではなくいつの世も国を治らす存在として「国安かれ、民安らかなれ」との祈りを通して国家万民の安寧を祈ってこられた。
昭和二十年のポツダム宣言受諾に際して、昭和天皇は「身はいかになるとも戦とどめけり
ただたふれゆく民を思ひて」との御製をお詠みになっている。ひとくちに君主制や封建主義と言っても、欧米諸国とわが国ではその基層にあるものと表れには違いがある。
世界はいま再び、専制主義国家が抬頭し、民主主義国家の陣営を脅かし、米国をはじめ世界の多くの国々で分裂と対立が深まっている。
英国のある歴史家が「神話を失った国は滅びる」と言ったが、国際政治が急激に変化する中で、私共は改めてわが国の歴史を振り返り歴史に学ぶ必要がある。 「疾風に勁草を知る」という言葉があるが、自由も民主主義もわが国の風土や伝統に根ざしたものでなければ真の力とはなり得ない。
来年は戦後八十年の節目を迎えて、世界も大きな転換期を迎えている。昭和二十一年八月九日、BC級戦犯として処刑された福原勲という方の辞世に「朝風になびくを見た彼の土(浄土)より平和日本の日の丸の旗」という和歌がある。私共は先人の悲願を受け継ぎ、新日本の建設に生かしていく国民としての義務をなおざりにしてきた。いまこそ先の大戦で犠牲ともなられた多くの御魂に対し、わが国の歴史と文化を守り抜く覚悟と努力が求められる時代に立ち到っているように思う。
自由も民主主義もわが国の風土や伝統に根ざしたものでなければ真の力とはなり得ない。