希望の炎を燃やせ。(2009/11/1)

政権交代=景気後退とならないことを願う。

 民主党政権にこの夏の総選挙の結果、政権が交代した。
鳩山政権は、先の政権が未曾有の世界不況に対処するために景気浮揚のための経済対策予算を組んでいる事業を含め、中止や執行停止を宣告、地方自治体などで事業計画を進めているものに見直しを余儀なくしたために、非常な混乱をきたしている。

 このブレーキがせっかく底を脱したかといわれていた景況を再び押し込め、先行きを暗くして、雇用や所得向上を冷え込ませ、これから年末を控えるが、寒風に吹き晒される人があふれることが危惧される。

 臨時国会が開かれ、論戦が繰り広げらているのであるが、最も今必要な疲弊しない国を創るための具体的政策の展開を実行する議論よりも、新政権と前政権の批判の応酬が中心となり、ブレーキのかけ合いとなっていないだろうか? 早く経済を立て直し、雇用の安定や所得の向上を目指さなければ、税収も落ち込み国民生活も国家財政も破綻の道へ突き進む。政党間のメンツの問題ではない。国家の一大事なのだ。

 来春の卒業生の就職の状況は更に落ち込み、3分の1が非正規社員で、明日の生活保障も無い状況におかれて、次世代を担う人材が確保も出来ない。
 希望の目の無い社会に、明日は無い。
 友愛の精神も大事だが、理念だけでは前に進まない。夢や希望をかざしながらも、国民を犠牲に晒さない現実対処の勇気が求められる。政治とはそんなものだろう。

次代を担う若者に、夢と希望のもてる社会を築こうではないか。

 新型インフルエンザも冬季を迎えて、蔓延中である。しかしワクチンもまだまだ製造が追いつかず、緊急を必要とする分野から対応し、一般的には来年にならないとうけられる状況とはならないようである。
 ともかく人出の多いところへの外出は控えることが、対応の処方箋のようである。

いずれにしても元気の無い話に終始するが、ここは我慢も処世術か?

吾れ唯足るを知る

―ウシオ電機会長 牛尾治朗(月刊『致知』11月号巻頭の言葉より抜粋引用)

『いまこそ変革実行の覚悟を』

 8月の衆議院選挙では民主党が大勝し、ついに政権交代が実現しました。
今回の民主党の勝利は、このままでは駄目だ、政治は変わらなければならない、という国民の強い危機意識を反映した結果といえるでしょう。

 選挙後の世論調査では、74%のもの人が新しくできる民主党中心の政権に期待すると答える一方で、民主党に対抗する政党として自民党に立ち直ってほしいという回答も76%あり、政党への期待よりも変化を求める傾向が明らかになりました。(朝日新聞世論調査を参照)。日本の大衆の賢明さを改めて実感した次第です。

 戦後の自民党は、日本の成長を追求するために、保守でありながらどの政党よりも革新的で、次々と改革を実行して奇跡の成長を実現しました。しかし長く政権の座についていたことにより既得権が生じ、次第に成長も鈍化し、不平等感が出て国民の間に不満がくすぶり始めました。
その頃の欧米は、1989年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結したことを契機に大きく体質転換を図り、マーケットを飛躍的に拡大することに成功しました。当時はまだ真の危機を迎えておらず、本気で改革に取り組まなかった日本だけが取り残されたのです。その改革の機会が、遅ればせながらいま日本にやってきたといえます。

 先の大戦後の日本は、平和憲法を制定し、天皇の位置づけが元首から象徴へと変わり、民法、商法の改正、教育制度の改革、農業改革、労働組合の公認、言論の自由化等々、画期的な変化をすべて受け入れ、実行したからこそ成長できたといえます。私たちはこれから、当時に匹敵するくらいに変革していくことを覚悟し、改革実行に強い期待を抱いています。

『再び幸福論が求められる時代に』

 戦後、社会の価値観が激変する中で、私たち若い世代は、人生の意味や、日本の進むべき道について真剣に悩みました。活動的な人は共産主義に憧(あこが)れて全学運を立ち上げ、内省的な人は実存主義に共感を抱き、サルトルやカミュ、ゲオルギュといった人の本を熟読して思索を深めました

  私自身は後者の立場を取り、これからどう生きるべきかと模索を続けていました。京都に住んでいたこともあり、ある時、龍安寺(りゅうあんじ)の蹲踞(つくばい)に刻まれた「吾唯足知」(吾(わ)れ唯(ただ)足るを知る)の文字に出合い、目を開かれる思いがしました。
  中央の四角い穴が4つの漢字の「口」の部分をそれぞれ兼ねており、大変ユニークな手水鉢(ちょうずばち)です。ないことを嘆かず、あるものに感謝する。私は、日本人の原点がこの4文字に凝縮されていることを教えられ、強く印象に残りました。日本人の心にこの4文字があったからこそ、高度成長の時期にもどこかでブレーキがかかり、ある程度の健全性が保たれたのだと思うのです。

  当時はまた、様々な幸福論も論じられました。武者小路実篤、亀井勝一郎、アラン、ショーペンハウアーといった人たちの本が盛んに読まれ、日本人の幸福のあり方が模索されましたが、貧しかった当時は結局、アメリカ並みの豊かな生活を手に入れることが当面の目標になったのです。

  しかし、戦後60年以上が過ぎ、時代はものから心の時代に移りました。日本は再び幸福論が必要な時を迎えたといえます。
  これからの日本の重要テーマの1つが社会福祉です。高齢化が進む中、お年寄りの住居や食事を確保することに政策の力点が置かれていますが、それだけでは本当の社会福祉とはいえません。

  人間の幸せというのは、生きる目的、使命感、志を持っていることや、誰かの役に立ち必要とされている実感、喜びや悲しみをともにしてくれる家族や仲間に恵まれていることが非常に大きな要素を占めると思います。人間の幸福についての理解がなければ、よい社会福祉政策も実現できません。「吾唯足知」という言葉も、その中で再び思い起こさなければならないでしょう。
  政権交代が実現したいまこそ、日本人がこれから追求してゆくべき幸せとは何か、議論を深め、進むべき新たな道を見出していかなければなりません。