平安を乞い願う!(2026.9.1)

残暑お見舞い申し上げます。
今年は実りの秋も満喫がはばかられますね。先の熊本地震の被害が未だ収まりきらず、多くの方が穏やかな生活を取り戻せないまま、不安な中で必死に耐えて頑張って居られる。とりわけ猛暑の中での水の不便は大変なことだ。まだ地震が治まりかけた状態といえず不安が追い打ちをかけており、本当に心中お見舞い申し上げます。
また、関東地方では線状降水帯の影響により、千葉県・埼玉県・東京都などの一帯で記録的な豪雨に見舞われました。これにより住宅の浸水や低地での冠水が相次ぎ、多くの自動車が水没して路上に放置される事態となっています。ロードサービスも対応に追われて手が回らず、撤去車両の保管場所や浸水した家財の集積場確保、さらには今後の処理について、各自治体も頭を悩ませています。
現実をこのまま放置するわけにはいかないが、この処理には自治体に膨大な費用が必要となる。そうなれば一般的な行政事業の予算が圧迫されるため、その財源手当は国に頼らざるを得ない。国も厳しい財政状況にあるが、何より国民の命と生活を守るため、これを国難と捉えて強い意識を持ち、国民を守る施策を実行していただきたい。
さらに、中東情勢、とりわけイラクを巡るアメリカ(トランプ政権)との緊張関係から「原油供給」の不安定化が懸念され、その影響は広範な経済活動へ波及している。世界経済や情勢の不安定化がグローバルに広がる中、何かの拍子に各地で新たな紛争が起きかねない緊張感が漂っている。
いまやトランプ氏は世界を安定へ導くどころか、各地に紛争の種を撒き散らしていると言わざるを得ない。
こんな時私たちはどうすればよいのだろう。やはり誰かのせいにして傍観せず、みんなで冷静に助け合うことが最も大切だ。
『ガンバロウ日本!!』
人、遠き慮りなければ
必ず近き憂いあり
― 「論語」衛霊公第十五
月刊『致知」2026.9月号【巻頭の言葉】より引用
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

~名句に込められた至聖の悔恨~
約二千五百年前、古代中国の春秋戦国時代に生きた儒家の始祖にして偉大なる思想家・教家たる孔子が、弟子に説いた言です。大意は以下の通り平易です。
「人は皆、将来の環境までを見通し、対策しておかぬと、必ず、突然に足を掬われ、窮地に陥ることになる」
当たり前のことを言っているようで、この言葉の裏には孔子の実体験に基づく痛恨の心情が込められていると思います。『論話』に記述はなく、また儒家も口にしていませんが、孔子には次のような逸話があります。
孔子は魯の国に生まれ、三歳の時に父を亡くしました。父母は正式の婚姻関係になかったため、母は父の一族から出入りを禁じられるなどの冷遇を受け、 母子家庭とし貧しい環境で育ちました。 しかし幼少期、少年期、青年期を通して刻苦勉励、学問に励み、青年期には国の倉庫番や牧場の家畜の世話係などで生計を立てています。 そして時と共に周囲からその学識、見識が認められるようになり、ついには魯の定公に見出され、中都の宰(地方長官)、さらには司空(建設長官)、大司寇 (司法や警察の長官)にまで抜擢されます。
ところがここで事件が起こります。大司寇就任のわずか七日目に、孔子は当時世上人気のあった大夫の少正卵を世を乱す者として逮捕、公開処刑してしまいます。 これにより魯の上層階級、士大夫の支持を急速に失い、警戒され、遂には弟子を伴って出国。十四年間の諸国放浪の旅を余儀なくされました。 その間、十一の国々を訪れましたが、孔子を政治家として受け入れるところはありませんでした。
少正卯の公開処刑に関しては、もう少しの「遠き慮り」があってもよかったのではというのが、孔子の内に秘めたる悔恨だったのではないかと思います。
この件については、司馬遷の『史記』、『荀子』などに厳然と記録されており、孔子の重要な逸話といえます。
〜 偉人たちが 人生の根幹に据えた訓え 〜
さて、「遠き慮り」から想起されるのが、「米百俵」の訓話です。
明治維新で朝敵となり、戊辰戦争に敗れ、家々は焼失、極度の飢えと貧困に苦しんで長岡藩に、支藩三根山藩から見舞いとして「米百俵」が贈られてきました。飢えていた藩士たちは直ちに分配を求めましたが、藩の大参事・小林虎三郎はこれを拒否、「百俵の米」を売却し、学校設立の費用に充てました。「食えないいまを耐えて、将来の人物養成に」と。
この資金を元に「国漢学校」が設立され、後に小野塚喜平次東京帝国大学総長や、 山本五十六元帥海軍大将等の俊秀を輩出しています。 小林虎三郎は、吉田松陰と並び称せられた幕末の思想家・佐久間象山の高弟です。窮地にあっても「遠き慮り」を忘れず、実践して見せたのです。
新渡戸稲造は自著『修養』の中で、第一高等学校長の時、若者たちに人生では常に「四つの貯蓄」を忘れるべきではないと訓えています。
その四つとは、
「一に金銭、二に体力(健康)、三に知識
(教養・技術)、四に徳」
としています。そしてこれに付言し、継続的実践が必須であるとも強調しています。経営学の父と称されたピーター・ドラッカーは次代を慮り、 「二十一世紀に重視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである」と喝破しています。見事な見識であり、アドバイスといえます。
そして「遠き慮り」といえば、その出色、感嘆せずにおれないのがメジャーリーガー大谷翔平氏です。氏は高校生の時から、自らの将来を考え、目標達成を期し、マンダラチャートなる手法でそれを深掘りし、日常生活の行動、思考を律し、実践、現在に至っているとのことです。氏はいまやその技術、記録、人格において世界で最も高名なるスポーツマン、社会人と評されています。 まさに新渡戸稲造の「四つの貯蓄」
の完備者です。
孔子の時代から二千五百年経っても、 小林虎三郎、新渡戸稲造、ピーター・ドラッカー、大谷翔平氏等、偉人は皆、「遠き慮り」を人生の根幹に据えているといえます。
国家、企業、家庭、個人のいずれにおいても、欠くべからざる心懸けとして銘記しておきたいものです。

