戦争をしちゃいかん!(2026.5.1)

今も続き、いつまで続く中東の戦闘・攻撃とペルシャ湾封鎖。世界経済の混乱で、社会不安が平和へ善意を蝕み、不安が益々深まるだろう。アメリカ(トランプ政権)は横暴すぎる。
世界の宗教の中でも最大勢力を持つキリスト教の現在、第267代ローマ教皇レオ14世は、アメリカ・シカゴで生まれ、初めてアメリカ出身者が教皇に選出されたことは、就任当時大きな話題となったと記憶しています。彼は世界平和のための伝道者として、現在の世界各地で続く戦争や、アメリカによるイラク攻撃を目の当たりにし、「戦争(殺戮)」を強く非難しています。
これに対しアメリカのトランプ大統領は「宗教者が平和など守れない」、平和は武力で抑えても「私が守る」と反発している。正に聞く耳を持たない独裁者となっているようだ。
2月に2か月で収束させると中東での戦闘が始まったのだが、まだまだ収まらないどころか、火種が世界のいたるところへ飛び火しそうな危惧がされる。
今、私たちの生活のあらゆる用品が、石油に由来して製品となっている。発電や輸送はもとより、農業・食糧でも耕運、建設・建築資材でも一斉に値上げとなり、また物不足で生産を延期したり、先行きの見通しさえ立たない状況を引き起こし、大混乱を起こしている。
政府は備蓄もあり大丈夫のような混乱回避の発信をしているし、いたずらに先走りして不安を煽るようなことは慎まなければならないが、現場は大変な状況のようだ。
これがやがては生存競争をかけての争いに発展し、戦いへと進みかねない。絶対に戦争起きない協調に務めなければならない。と私は最も危惧する。
山火事・地震と天災も心配です。
このところまた各地で山林火災が発生している。春の陽気に誘われて野草や木の芽を取りにハイキングも良いが、火の扱いには特に気を付けましょう。四国ではクマは出ないが、毒蛇や転落にも装備を含めて気を付けましょう。
五月の空に悠々と泳ぐ「鯉のぼり」のように、腹に一物を貯めず、「虚心坦懐」身近な人々と支えあって清楚な毎日を送りましょう。
国は一人の為に興る 先賢は後愚の為に廃る
月刊『致知」2026.5月号【巻頭の言葉】より引用
高千穂神社宮司 後藤俊彦

~ 善き師善き友は 人生最大の財産 ~
「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。よき人に近づけば覚えざるによき人となる」
と道元禅師は説かれている。 霧の深い中を歩いていると、いつのまにか着ているものがしめっぽくなる。 善き師や友と共にあることの大切さを、霧の中を行く姿にたとえてのお示しといえよう。
『華厳経』にこんな話が伝えられている。ある日、釈尊は弟子たちと共に歩いておられた。 一本の縄切れが落ちていた。釈尊は一人の弟子を振り返り、「その縄を拾ってごらん。どんな匂いがするかね」と質ねられた。切れを拾って匂いを嗅いだ弟子は「大変いやな匂いが致します」とお答えした。
しばらく行くと今度は一枚の紙切れが落ちていた。釈尊は又一人の弟子に「その紙を拾ってごらん。どんな匂いがするかね」とお質ねになった。 紙切れを拾って匂いを嗅いだ弟子は「大変よい匂いが致します」と申し上げた。釈尊は静かにおおせられた。
「弟子たちよ。縄は初めからそんな匂いがしていたわけではなかろう。 いやな匂いのものをしぼったために、縄まで人に嫌われるようになってしまったのだ。同じように紙切れも、初めからよい匂いを持っていたわけではなかったろうが、よい匂いのするお香か何かを包んだお陰で、みんなに喜ばれる紙になることができた。そのようにお前たちもつとめて善き友を持たなければならない」と。
道元禅師も「友にはくるしくわびしくとも近づきて行道すべし」と説いておられる。
を戒めておられる。
~グループぼけにならず一人でもやるべきことをやる~
ここで心しておきたいことがある。善き友の中にいるということと、群れの中にいてグループぼけになるのとは違うということである。 澤木興道老師はしばしば、
「いま時分のやつのやることは、みな集団をつくってアタマ数でゆこうとする。ところがどこの集団でもグループぼけばかり。いわんや党派をつくるなどグループぼけの代表である。 そんなグループぼけをやめて、自分ぎりの自分になることが坐禅である」
とグループぼけを戒めておられる。ドイツの哲学者のニーチェが同様のことを云っている。
「この人生を簡単にそして安楽に過ごしていきたいというのか。だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。そして、いつも群衆と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい」と。(『超訳ニーチェの言葉』白取春彦編訳)
かつてある講演会で、宗教学者の山折哲雄先生と一緒に講師を勤めたことがある。控え室でお茶をいただきながら「私の青春時代には群れから離れろ、といわれたものです」と語られた言葉が忘れられない。 洋の東西を超え、古今を超えて同じ警告が先哲によって繰り返し語りつがれていたことに気づく。
私はつねに自分に云いきかせている言葉がある。「私一人から始めましょう。 できる、できないは問わない。誓願として、やるべきことをやりましょう」と。
道元禅師も「一国は一人の為に興る。先賢は後愚の為に廃る」と説いておられる。
釈尊お一人から始まった仏教が、中国へ伝わったのが永平十年(西暦六七年)、以後千九百年近くの間、玄奘三蔵を始め多く求道者と文化を樹立したが、一九六四年、四人組が文化大革命と称してこれらの文化財を破壊し、僧侶も還俗させられた。かつて中国を訪ね、破壊された寺々を見ながら道元禅師の「愚人ひとり出来たれば先賢のあと廃るるなり」の一言をかみしめたことであった。
時と場合により、又相手により、いろいろな角度から説かれている教えを、心してちょうだいし、自分のあり方を点検してゆかねばと思うことである。


