国会の政権闘争で混乱?(2024.11.1)

衆議院で自公連立政権が過半数を大きく割り込んだ
連立政権の組み方ばかりに時間を取られ政治空白を作ることなかれ
10月15日公示27日投票で行われた、第50回衆議院議員総選挙の結果、自民(191議席)公明(24議席)連立政権は、無所属(12議席)・保守党(3議席)を仮に加えても230議席で、過半数(233議席)を取れず、国会運営が非常に難しくなること必至だ。
一方の野党も立憲民主党が(148議席)と改選前(98議席)よりも大きく(50議席)伸ばしたもの、いわゆる野党が連合すれば(235議席)過半数は取れるものの、日本維新の会(38議席)・国民民主党(28議席)も政権取りには同調しないようで、共産党(8議席)が同調しているように見えるが、どうも一本化して総理大臣の席を取り連立政権は出来そうもない。
どのみち過半数を確保し、安定した政権運営に取り組める状況にはならず、予算の審議も各種法案の審議も、まとまらず混乱が避けられない状態が想定される。
さらに来年7月に参議院議員(定数248議席)の半数の改選があり、現在は自公で(141議席)あり過半数(124議席)を超え安定数は確保しているものの、これからの政局は、参議院でも過半数を取るための戦略が交錯する政治状況が想定され、選挙目当ての暴露や中傷合戦が繰り広げられるのではないかと、私は非常に危惧します。
今回の衆議院選挙は、昨年来自民党内で政治資金パーティに絡む収支報告の不記載で派閥の裏金扱いが表面化し、党内でも調査の結果、問題や金額の多い議員への処分が党紀委員会により処分が下されていたのだが、世間では許されないとのスキャンダル扱いでマスコミにも連日報じられ、大きく有権者の信頼を失うことに繋がったと思われます。
さらに選挙戦の最中にも自民党本部から、自民党では非公認とした候補者に、党員の支部活動費扱いで政党支部への交付金が出されたことが報道され、自民党の金権体質が問われることとなり、自民党関係候補者には決定的ダメージとなった。
我が選挙区の「井原巧」候補も不記載があったが、その後訂正処理されていたことから出馬にあたり「自民党公認」候補とはなったが、比例区との重複立候補は認められなかったため、我々自民党県連一丸となって日頃の政策活動や実行力を訴え、地方を取り巻く厳しい課題解決に尽力したいと有権者に訴えたのだが、この逆風を超えられず、議席を失った。残念でならない。
この失地回復は現在の政局環境では非常に困難を極めるだろう。だが地域のため国家の為、国民の生活や命を守るための諸施策を、真摯に訴え、実現のためこれまでの政策集団としての取り組みを、これまで培ってきた人間的つながりを、「民、信なくばたたず」の思いを共有して、頑張らねばならない。
本当にこのような状況で「日本」良いのだろうか? 今や公の秩序良俗についても検めて見直し、平和を守るための施策を問い直すべき必要を強く私は憂います。
地球規模での気候変動も、食物・動物の生態系に変動を起こし、すべての生き物の命のありように大きな変動を与えているのではないだろうか?
安易に目の前の利便ばかりを求めていては、将来を見失うことになる。正義とは何だろう・・・と、考える今日この頃だ。
深まる秋も楽しみたいのだが・・・。
捲土重来(けんどちょうらい)、未だ知るべからず ― 杜牧・題烏江亭
月刊『致知」2024.11月号【巻頭の言葉】より引用
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

~ 五輪の熱戦に想起した 項羽と劉邦の故事 ~
今夏のパリ・オリンピックは久しぶりに興奮し、元気が出ました。四百九名の日本選手
団には心から拍手を送り、敬意を表したいと思います。 その健闘ぶりにふと想起したことがありました。いまから二千二百年前、古代中国における項羽と劉邦の故事です。
紀元前二〇六年、項羽と劉邦の二人の英傑の登場によって、秦帝国は僅か十五年で滅亡。以来、項羽率いる楚軍と劉邦率いる漢軍は死闘を繰り返します。しかし、遂に決着を見ようとしていました。
紀元前二〇二年、「垓下の戦い」において項羽は敗れました。 項羽は少数の近習(側近として仕える家来と包囲網を脱し、長江の畔の宿場・烏江に逃れてくるも万事休す。 烏江亭の亭長が一人、次のように進言します。 「ここにある舟は一般のみ。これに乗って対岸の江東に逃れるべし。将軍の郷里である江東に若き俊才が多数いる。 諦めずに再起を図るべし」と。
項羽はこう答えます。「これほどの大敗をして、独り故郷に帰り、生き恥を晒すのは耐えられない」。少数の近習と共に、乱戦に取って返し、力尽きて自刎、自ら命を絶ったのです。項羽、三十歳でした。
一方、いつも逃げることの多かった劉邦は遂に勝利し、前漢の初代皇帝、高祖となります。劉邦、五十四歳でした。
「垓下の戦い」から約千年の時を経て、晩唐期の著名な詩人・杜牧が悲劇的な項羽の死を悼み、詩を詠んでいます。
烏江亭に題す
勝敗は兵家の事、期せず
羞を包み、恥を忍ぶは是れ男児
江東の子弟、才俊多し
捲土重来、未だ知るべからず
勝敗は軍人の常であり、完全に予測することはできない。一時の羞恥を受け入れ、耐え忍んでこそ、大望を抱く男児ではないか。ましてや、対岸の江東は項羽の郷里、多くの若い俊才がいたはずだ。 砂塵を巻き起こし、他をする力と勢いで、再び攻め返していたならば、結果はどうなっていたか分からなかったろうに。
この詩がもとになって生まれたのが「捲土重来」の語であり、世に多用されるようになりました。大志・大望を抱いた者が一度や二度の挫折や失敗で諦めたり挫けたりするな、巻き返せ。心を鼓舞される言葉です。
~ 世界競争力ランキングは 三十八位にまで低迷 ~
話題を再びパリ・オリンピックに戻しましょう。二百を超える国・地域が参加しましたが、中でもアメリカと中国は共に金メダル四十個ずつでトップ。日本は金メダル二十個、参加国の中で堂々たる三位でした。銀・銅メダルを含めた総個数でも四十五個と、世界第六位。 これは喜び祝うべきだと思います。
スポーツへの国民の関心と浸透はその国の生活の安定と潤いに大いに貢献してきました。そもそもギリシャの古代オリンピックはゼウスに捧げるスポーツの祭典として紀元前七七六年に始まり、四年ごとに都市国家 (ポリス)が挙って参加の上、行われました。 その間、戦争は休戦されたといいますが、今回はどうだったでしょうか。
メダルの獲得は競技の勝者とその出身ポリスにとって最高の名誉でした。 現代オリンピックの表彰式は、個人へのメダル授与と金メダルを獲得した国の国歌演奏によって行われています。今回、表彰式での〝君が代〟は本当に素晴らしく見事でした。 海外の人からも「簡潔で平和的かつ日本のよき伝統を感ずる」など好評を得ていました。日本の金メダリストは最高の外交官でもあったわけです。
今回特筆すべきは、五個の金メダルを含めて十代のメダリストが八人も出たことです。また、伝統的競技でありながら約百年メダルに縁のなかった馬術、 やり投げ、近代五種、高飛び込みなどでメダリストが誕生しました。圧巻はレスリングです。 出場選手十三人の十一人がメダルを獲得、八人が金メダルに輝くという素晴らしい快挙でした。
一方、金メダルを期待されながら “勝者は予測つかず”を地でいった選手も少なからずいました。次回、四年後の大舞台に向けて、「捲土重来」を期しているでしょう。 我われ国民としては安易に批判をするのではなく、温かい応援を送りたいものです。
最後にご紹介したいのが、スイスのIMD(国際経営開発研究所)から毎年公表される「世界競争力ランキング」です。日本はかつて平成の初め頃は一位から四位の間で安定し、上位でした。しかし二〇二四年には前年から三つ順位を落として三十八位、下降の一途を辿っています。
オリンピックとは裏腹に、こちらは危機的な状況にあります。 真に国家の大事であるにも拘らず、新聞やテレビなどのマスメディア、国会、経済界も含めて、オリンピックの寸分も取り上げていません。
このままでは日本は沈没します。 国民は自分の国の立ち位置を認識できているでしょうか。ぬるま湯に浸かっていては、捲土重来の機運も起こりません。捲土重来は正常な理性と精神を有する者の特権です。いまこそ心ある人たちが捲土重来の気概で立ち上がらなければならないと思うのです。
大志・大望を抱いた者が一度や二度の挫折や失敗で
諦めたり挫けたりするな、捲き返せ。心を鼓舞される言葉です
大志・大望を抱いた者が一度や二度の挫折や失敗で
諦めたり挫けたりするな、捲き返せ。心を鼓舞される言葉です