愛媛県議会議員 明比昭治 いきいき西条 元気な愛媛!! 「輝くふるさと愛媛づくり」
品格・見識を大切にしよう(2018/5/1)

目に余る国会の空虚さ!
 一体どうなっているのだろう。我が国の国会ではもう1年以上も、森友学園への国有地払下げの価格や手続きの問題。この4月には開学し、新入生が授業も開始した「今治の加計学園の岡山理科大学獣医師学部」の、国家戦略特区での開学認可に向けての問題。これらについて手続き途中の文書(決裁文書やメモ)の存在、これらに派生したのか役所の文書扱いの問題。

 挙句の果てには国会議員や官僚のスキャンダル・・・と、国家の体系を為す政策論争に及ばない問題で、明けても暮れても時間が費やされ、重要な法案審議はボイコットで、空転する状況。
与党も野党もない。いい加減に、手前らのパフォーマンスと行動は慎むべきだろう。それに輪をかけるようにマスコミが追っかけ突っ込むものだから、余計に混乱を大きくしている。

 本当に国家の品格や見識はどうなったのかと、憂うるばかりだ。
こんな変な病理現象が、この国全体に蔓延しているのではないかと思えることもあり、みんなの助け合いとか・支え合いとか、共助の社会づくりが、色々な災害も発生し、危惧されている時にあり、求められるのに、非常に心配だ。

まやかしの平和パフォーマンスにしてはならない!
 国際的には、朝鮮半島で南北会談がもたれ、北朝鮮が核開発や長距離ミサイル開発の中止を表明し、平和への道を歩む姿勢を見せ、つぎにアメリカを相手に対等な交渉のできる国家としての存在を示そうとしている。
北朝鮮の虚勢は、いつ暴発があるかしれないものであり、まやかしの微笑みに手を貸すと大きなしっぺ返しの尻拭いに引っ張り込まれる。しかと心得て対峙しなければならないことだ。

 真の平和な環境をつくるためには、完全に核を廃棄させることだ。丸裸にするほど衣の下の鎧を取っ払わなければ、どんな凶器を隠しているかもしれない。
これまでの度重なる約束放棄や、権力保持のための残忍な粛清行動、人権無視の拉致行動・・・決して許してはならない。

 どれ程まで自らを粛清するかを見定めるまで、制裁の心をしっかり持つことこそが、平和につながる道を開くことになるだろう。

自民党県連も勇気を持って改革を!
 昨年の議長選挙に際し、自民党として候補者をこれまでの経験則により決定したのであるが、これに従わず一部議員が会派届を提出、自民党が2分される異常事態が起きていた。

 一般党員や地域支部・職域支部の党員からも分裂を解消するよう心配も高く、私たち執行部は細心の配慮を重ねながら、運営に心がけてきたのであるが、今年度も議長選挙で、党内の同志的結束でまとめようとの努力を受け入れず、他党や他会派との連携に優先行動をとられ、議長も副議長も、自民党で協議決定を無視して、行動された。

 自民党の同志であれば党の協議を優先し、決定事項は信義則で守るべきは当然のことであり、組織の必須の原則である。それが守れないのは反党行動としか言いようもない。
繰り返し党員からも期待される問題を無視する行動は、放っておけば組織を崩壊させるもとになるとの危機意識から、党紀委員会を開催。会派の重要な役職にある3名が「除名」と決定されたのだ。

 長年ともに取り組んだ仲間を処分し失うことは忍びないことだが、健全な同志的結合の組織のために、勝手な理屈で混乱させることはやはり毅然と取り組まなければならないことをご理解願いたい。

 言い訳や都合はいくらでもつけられるものであるが、やはり信義や仁義を大事にしてこそ同志と言えるものだ。このことを信義則として常に改革の勇気も持ちながらわが自民党愛媛県連の立て直しに努力しますので、ご理解とご協力をお願いします。

 自分たちの都合のよい(自分ファースト)理屈にこだわらず、お互い曇りのない天を仰いで恥じない行動をしましょう。

 
ボックス終身の計は 人を樹うるに如くは莫し
       
      
月刊『致知」2018.5月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディング特別顧問 數土文夫
 
『三十年の間に変質してしまった日本人』
  一年の計は穀を樹うるに如くは莫し
  十年の計は木を樹うるに如くは莫し
  終身の計は人を樹うるに如くは莫し
  (一年で成果を挙げようとするなら、穀物を植えることだ。十年先を考えるなら、
  木材を植えることだ。終身の計を立てるなら、人材を育てることに尽きる。)

 これは古代中国斉の名宰相・管仲の言で、その著『管子』権修篇に記されています。
いまから二千七百年前に説かれた教えではあるものの、現代の国家や企業、そして個人にも当てはまる至言です。
 
 会社の寿命は約三十年と言われて久しいのですが、ビジネス・スキームやビジネス・スタイルもまた然りです。三十年はもたないのが大概でしょう。
 そのような時代にあって、海外のビジネスリーダーたちと話をしていると、日本の労使の基本的な慣行であり、経営の基盤である「終身雇用」や「定年退職」という言葉に、違和感を覚えるようになりました。各企業が揃って新卒学生をまとめて採用する「一括同時採用」に至っては、世界の中でほぼ日本だけの特殊な慣行であることも、一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 いま、政府も民間企業も働き方改革に真剣に取り組もうとしています。
 ドイツでは、一九八〇年代から残業廃止や労働時間短縮などの改革が積極的に行われ、一人当たりの年間労働時間が千四百時間を下回っているのに対し、日本のそれは千九百時間以上。にもかかわらず一人当たりのGDP、生産量は日本の約1.5倍あるのです。厳粛な事実として受け止めなければなりません。

 アメリカ社会学者エズラ・ヴォーゲルは、一九七九年に著したかの有名な『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の中で日本の高度経済成長の源泉にあるものは、当時の日本人の並外れた「学習意欲」と「読書習慣である」と分析しています。

 ところが、いまはどうでしょう。先日発表された全国大学生協連合会の調査によると、一日の読書時間が「ゼロ」と答えた学生は五十三・一%で、半数を超えたのは二〇〇四年の調査開始以来、初めてのことだったといいます。かつて日本人が有していた勤勉性という特質が失われつつあるということを端的に示しています。また、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』には当時の日本人の学力についても言及されていますが、数学ではイスラエルに次ぎ世界第二位であり、たの教科分野でも大概二位~三位を占めています。しかし、「情報」については七位でした。これは重要な指摘でした。ナンバーワンに浮かれることなく、もう少し深い考察が我われにあってもよかったのではないか。そう責任を感じすにはいられません。

 「情報」、これはIT、IOT、AIに通ずるものであり、これらの実務への導入、応用という点では、日本は先進国の中でも劣位にあります。昨今、生産性が上がらない一因もここにあるのでしょう。

『人生百年時代を生きる上で大切な心構え』
  世界的な経営学者として知られるピーター・ドラッガーは、次のような言葉を残しています。

 「二十一世紀に重要視される唯一のスキルは新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共に廃れていく」
 「教養人とは勉強し続ける人間」
 
 今後、平均寿命が百歳に近づいていくにつれて、人々が五十年以上働くことを前提にしなければ社会は成り立ちません。すなわち、我われ一人ひとりが七十五歳くらいまでは、ドラッガーが説いているように、それぞれの分野において新しい実務のスキルを習得し、それでもって展望を開いていくことが不可欠になっていくのです。

 また、幕末の儒学者・佐藤一斉は「言志四録」でこう述べています。

 少にして学べば、則ち壮にして為す有り
 壮にして学べば、則ち老にして衰えず
 老にして学べば、則ち死して朽ちず
 (少年の時学んでいれば、壮年になってそれが役立ち、何事か為すことができる。壮年の時学んでいれば、老年になって気力の衰えることがない。老年になっても学んでいれば、見識も高くなり、より多く社会に貢献できるから死んでもその名の朽ちることはない)

 江戸時代の壮年とは、三十~四十歳くらいだったのでしょう。しかし、日本人の平均寿命が当時から三十歳くらい伸びていることを鑑みれば、現在の壮年とは、六十~七十歳と言えるのではないでしょうか。
 
 二千七百年前の管仲から江戸時代の佐藤一斉、現代のピーター・ドラッガーやエズラ・ヴォーゲルに至るまで、表現こそ違えども、皆一様に我われに示唆を与え、心を鼓舞してくれています。そのことを肝に銘じたいものです。
 
 「終身の計は人を樹うるに如くは莫し」と聞くとややもすれば、政治家や経営者に向けられた言葉だと思って見過ごしてきまうかもしれません。しかし、ここで重要なことは、個人の問題として捉えることなのです。

 人生百年時代を迎えるこれからの時代こそ、我和一人ひとりが自らを立派な「人材」に育てるという「終身の計」を打ち立て、一生学び続けていくべきだと思ます。

 
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