愛媛県議会議員 明比昭治 いきいき西条 元気な愛媛!! 「輝くふるさと愛媛づくり」
春が来た!(2018/3/1)

春の温かい日差しやぬくもりを自分の手に呼び込もう。
 先月開催された韓国・平昌での冬季オリンピックで、日本選手は13個のメダルを獲得、かつて長野で開催した時の10個のメダルを上回る成果を残してくれた。メダルは逸したものの、精魂込めて頑張ってきた選手たちも含め、堂々頑張った選手の皆さんや関係者に、よく頑張ったと拍手を送り、感動をありがとうと感謝のエールも送りたい。

 男子フィギアスケートで3カ月前にけがをし、復帰さえ心配された「羽生結弦」選手の2大会連続の「金メダル」は圧巻だったし、若い宇野昌磨選手の「銀メダル」も極めて爽やかだった。
女子のスピードスケートでは、科学的研究を生かしたトレーニングで、オリンピックレコードも残す偉大な成果を立派に残された。

 女子のカーリングチームは、北海道北見のハンディある環境条件を乗り越える抜群のチームワークで練習の成果を発揮し、世界の強豪チームと伍して戦い「銅メダル」を引き寄せた。
どの選手も並の努力を超えた努力で、勝利を引き寄せ呼び込んだ成果だ。

 彼らへのインタビューを聞いていると、実に淡々と勝利が当然とも取れるような発言が多く、これも極めて最近の若者らしく、私は爽やかに聞けた。

 我々世代の若い時代のスポーツへの取り組みは、頑張れ頑張れ根性だ!こんなにみんなが心配しているのに何で堪えられんのだ!と鉄拳も飛ぶスパルタ方式が主流であった。コメントなど無い涙しかなかったと思う。

 近年は強化選手が集中できる環境や、科学的なデーターも駆使しながら、効率の上がる練習環境も整いつつあり、これをやれば必ず成果が出るのだという思い込みもついてきているように思う。だから淡々としていられるのだろう。

 一般の社会でもこれから進学や、就職で新しい環境に向かって希望を胸に人生の歩みを進めるため、節目を迎える時期でもあるが、漫然としていては逆に周囲に押し流されやすくなるだろう、まずは自分の目標設定をしっかり立て、如何すればその希望が叶い、ぬくもりが得られることになるのかを自らの努力と、取り巻く皆さんのサポートも得て、引き込もう。

 ただし、自分のぬくもりを自ら発しなければ、周りのぬくもりを共鳴させることはできず、逆に醒めさせてしまうことだろう。結果は努力についてくるものだ。
いま、残念ながら世の中「自分ファースト」、自分の正当性を主張するあまり相手を犠牲するという、社会性にかける現象が蔓延しているように思えてならず、残念だ。

20年・30年先も、ともに幸せでいられるかを考え、ともに生き、ともに栄えることを考え、行動しよう!

平成30年度愛媛県当初予算 一般会計 6227億円(中村愛媛県知事2期目の最終年度)議会に提案。
 「みんなでつくろう、愛顔あふれる愛媛県」をテーマに県政を推進する、中村知事の2期目の任期仕上げの年となる。
 昨年は天皇・皇后両陛下や多くの皇族の皆さんもお迎えして「えひめ国体」「えひめ大会」を開催、成功を収めることが出来た。

 また、県立高校の耐震化も完了する。ドクターヘリも運行を始めた。「地位経済の活性化」を求めて県の営業本部では目標の100億円の成約も達成した。
これらを基にさらに成長・結実させるため「挑戦」「実行」「現場主義」「オールえひめ」の基本姿勢を貫きながら、更なる高みを目指したいとの意気込みで、取り組まれる。

 私も議会として車の両輪になれるよう、仲間と力を合わせ、県民の声や知恵を提言しながら、務めて取り組みます。個々の施策については順次(議会報告の項も含め)お知らせします。


 
ボックス茶の湯が伝える平等・寛容の精神性
       
      
月刊『致知」2018.3月号【巻頭の言葉】より引用 千 玄室(茶道裏千家前家元)
 
『茶の湯とキリスト教との深い繋がり』
 茶の湯がキリスト教と関係が深いことなど、多くの方々はご存じない
禅宗を背景にした喫茶の風習、特に茶礼に基づくものだと思われている。

 中国の唐の時代には茶が飲用の己ならず薬用としての価値を見出され、700年代には陸羽が『茶経』を著したことにより中国全土に茶が広まった。
日本に初めて禅宗を請来した栄西禅師は、建保2年に鎌倉幕府第3代将軍・源実朝が酒を呑み過ぎ具合が悪くなったと聞き、『喫茶養生記』なるものに茶による心身の調整の効用を述べ、茶を献じたと『吾妻鏡』に残されている。このように、実際茶の背景には禅宗による力が大きく存在していた。

 時代が下って16世紀半ば、ポルトガルより鉄砲がもたらされると同時にザビエルがキリスト教を伝えたことにより、未知の世界から新しい文明文化の波が日本に入った。天正7年まで多くの日本人が信者になった。面白いことにザビエルとともに来日したジョアン・ロドリゲスの随伴記といえる『日本教会史』には、つぶさに日本での布教の状態、そして茶の湯との関係が記されている。別の宣教師が記した日報にも、茶の湯による「もてなし」と共に日本人の生活文化の在り方が所々に出てくる。

 先年私がヴァチカンにて法王様に謁見させていただいたその折も『日本教会史』が話題に取り上げられ、カトリックと茶の湯の関係を再確認することができたのは祝福のことである。

 近畿地方では永禄2年からビレラ神父が本格的な布教活動をしているが、『日本教会史』によればザビエルは茶の湯に注目し、宣教師たちの中に入ることで、多くの人と茶を介して交わることが大切だと示している。

『東西の宗教観の一体感を見出した千利休』
   千利休の曾祖父は足利義政や義尚に、武士として、また文化担当にあたる仕事を千阿弥と称して仕えていた。堺で商業に従事する父のもと若き利休こと与四郎は、何とかいま一度武門の人にと思い、教養を高めるために歌の道に入った。そして歌道により情の文化を知りそれを身につけ、また武門出身で茶人である武野紹鷗のもとで茶の湯を学び、その中で多くの人と交わり、特に先輩の今井宗久などの影響を受け新しき思想のキリスト教も学んだ。

 それにより禅とキリスト教、東西の宗教観の一体感を見出した利休により、茶の湯が茶の道となっていったのである。世の中のキリシタン大名といわれる高山右近、織田有楽斎、大村純忠等々の人々が利休の直系弟子になっていることをみても、キリシタンの影響が茶の道に及んだのがわかるであろう。

 詳細は書き切れないが一例として、茶室の躙り口はまさしくバイブルのマタイ伝にある狭き門の教えと同じ意味を持つ。区別差別なく武門と言えども帯刀を許さず、丸腰で茶室に出入りするための門である。このように共通的解釈ができるほど、思想哲学的にも茶の道の確立に深い関係を見出せる。

 秀吉の時代の後期、天成15年6月にキリシタン宣教師追放の命がまず九州へ下された。このキリシタン追放によって、国内の信者は大きな動揺をきたした。キリシタンの教えは、人間の平等、寛容そして自我意識など多くの自覚を人々へ与えた。このように茶の湯が道=茶道として歩み出した裏には、キリスト思考も含まれていたものと考えられるのである。

東西の宗教観の一体感を見出した利休により、茶の湯が茶の道となったのである。

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