愛媛県議会議員 明比昭治 いきいき西条 元気な愛媛!! 「輝くふるさと愛媛づくり」
 
土砂降りの梅雨に早い対策を!(2010/6/1)

 明るい話題や期待する景気も回復の兆しもないままにもう6月を迎えた。

 ギリシャの財政破綻は、EU諸国や世界の経済にも大きな影響を与え、株価の引き下げや円高を進め、日本経済の回復に水を差し、回復を阻んでいる。

 中国では上海万博が開催され、活況を呈しているかのように見えるが、隣の朝鮮半島では韓国の哨戒艦を北朝鮮の魚雷で撃沈させたことにより、一発触発の緊張感が高まっており、油断ならない状況だ。

 こんな中、鳩山総理が5月末までに結論を出すと公言してきた沖縄米軍基地問題が、進展どころか逆行する結論で、国民の政権に対する政治不信はどうしようもない状況に至っている。

 この政権の政策はその他の政策においても、ことごとく迷走を続け、日本の進路は完全に座礁に乗りあがる寸前を迎えていると危惧するものだ。

ボックス 自分の時間をどう使うか
月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=ウシオ電機会長 牛尾治朗

『成功は常に苦心の日に在り』

 前回(3月)ウシオ電機の多難な創業期を振り返りました。
 会社を立ち上げたのが昭和39年。ところがその翌年に大口顧客の経営が相次いで傾き、 当社は早くも経営危機に瀕しました。しかし懸命に対処してこれを切り抜け、45年には上場を果たすことができました。

 先人の言葉に、
「成功は常に苦心の日に在り。敗事は多く得意の時に因ることを覚えるべし」
とあります。
 順境の時につまずきの芽があること、逆境に陥っても心掛け次第でそれを成功への転機にできることが説かれています。

 私が早期に上場を果たすことができた要因の1つとして、経営危機に懸命に対処しつつも、当時加入していた青年会議所(JC)の活動を最後まで全うしたことが挙げられると思います。

 父親が生前、女宇部のJC設立をバックアップしたことから、私は神戸、そして東京のJCに加入しました。それまで経営の勉強をする機会がなかったので、私はJCのセミナーを通じて経営者としての素養を磨くとともに、日本各地のJCメンバーと交流し、 切磋琢磨しました。そして上場前年の44年には日本JCの会頭を務めました。

 多難な創業期のJC活動は、まさに命懸けでやり抜いたというのが実感です。しかしその体験は、計り知れない果実をもたらしてくれました。

 経営に過度に没頭すると周りが見えなくなりがちですが、JC活動を通じて視野が広がり、経営者として不可欠なバランス感覚や、グローバルに開けた常識を身につけることができました。後の飛躍の大きな土台を築くことができ、「成功は常に苦心の日に在り」という言葉をしみじみと実感するのです。


 
『与えられた楽譜でいかに演奏するか』

 経営は、そこにどれだけの時間を投入したかによって決まるものです。しかし私は、JCを卒業した後も多数の公職に携わり、経営との両立を図ってきました。私にそれができたのは、自分なりの時間の哲学を持っていたからです。

 一日に使える時間は、睡眠や食事など生活に必要な時間を差し引くと、14時間あります。1週間で100時間だとすれば、1年では5000時間ほどになります。

 ビジネスマンの一般的な労働時間はこのうち2000時間程度ですから、自分で管理できる時間は年間3000時間もあります。多くの人はこの3000時間をどう使うかということが不明確なために、ただ忙しいという感覚だけで無為に時間を費やしてしまうのです。

 私は自分の使う時間を、情報をインプットする時間とアウトプットする時間、プライベートの中でも勉強する時間と純粋に楽しむ時間に色分けして手帳に記し、それらのバランスを常にチェックしています。
 
 経営の重責を担っている以上、仕事に費やす時間が2500時間、3000時間に達することも当然あります。経営者に限らず、仕事で何かを成そうというのであれば、当然多くの時間を投入すべきでしょう。それでも私は、5000時間の自分の時間を常にしっかりとデザインしていたので、経営以外にも様々なことに従事することができたのです。

 50歳を過ぎてからは、「無所属の時間」を意識するようになりました。これは作家の城山三郎さんの言葉で、人は会社や団体など、どこの組織にも属さない無所属の時間を持ち、そこでどう生きなおすかを自身に問わなければならない。それが人間の大きさをつくるというのです。

 私自身も、経営以外の時間に、さまざまな感動、感激、悲しみ、苦しみを味わい、多様で彩りに富んだ体験をすることが、経営にもプラスになることを実感しています。

 仕事に追われ、自分の時間が持てないと嘆く人はたくさんいますが、実は一人ひとりが毎日、自分の個性をどう生かし、与えられた時間をいかに使うかということを試されているのです。音楽にたとえるなら、楽譜を渡され、自由に演奏してみなさいと言われているようなものなのです。

 ベートーヴェンの交響曲『運命』は一つですが、小澤征爾が指揮するのと、カラヤン、バーンスタイン、フルトヴェングラーが指揮するのとでは、演奏時間も曲の強弱もまったく違います。

 自分に与えられた時間をどう生かし、何を創造するかはその人次第。流れる時間は有意義なものにも、無益なものにもなります。一人ひとりが人事を尽くし、豊かな時間を築いていただきたいものです。

 

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