愛媛県議会議員 明比昭治 いきいき西条 元気な愛媛!! 「輝くふるさと愛媛づくり」
 
今月の所感(2010/5/1)

 責任をわきまえよ!

 今年の春は激しい寒暖の繰り返し、雨による日照不足で野菜や果樹の芽が枯れるなど、農家にとっても深刻な状況であり、これが消費者にとっても家計に大きな負担となっている。

 経済不況に、異常気象や地震、火山の噴火など、次々と我々の身の回りを厳しい状況が襲いかかっており、先行きに不安を憶えざるを得ない。

 こんな時、政治がしっかりとして民生を安定させる必要があるのだが、相も変わらず選挙向けのパフォーマンスに明け暮れし、国民からも見透かされ、政治不信が募っている。

 また、既成政党の支持離れから受け皿狙いに、新党ブームの様相も起きているが、これも雨後の筍のように、芽は伸びて旬の時にはいただけるが、伸びれば伸びるほど中がすかすかになって、やがては見向きもされなくなってくるのだろう。

  政治屋を選ぶか、政治家を選ぶかしっかりと見定め選択する責任を一人ひとりがわきまえると共に、政治に携わる者は民の心を弄んではならない。

 責任を取るべきだ!

 政権支持率は30%を切り込み、不支持が60%を超えようとする危険水域にあるが、鳩山首相の沖縄米軍基地問題を「5月末には決着をつける」との課題は100%可能性のないことであり、これに振り回されて、最悪の事態を危惧するものだ。

 「国民の生活が第1」、「コンクリートから人へ」などとかっこいいフレーズで政権交代を果たしたが、ことごとく期待を裏切られるような状況で、国民の負担は限界を迎えるだろう。特に外交での失政は国際信頼を失墜するもので、亡国の危機さえ感じる。

 国民の命は総理の手に委ねられているのだ。早く責任を持って退陣し、建て直しが必要だ。党の問題ではない国家の問題だ。お坊ちゃんのいたずらや、戯言では済ませられない。

 行動すべき時だ!

 ひるがえっておもんみれば、誰の責任でもない私達一人ひとりの責任であり、ノー天気なことは言っていられない時を迎えている。

 これ以上どうでもいいとか、何とかなるだろうと他人任せなことは言っていられない。

 自らの足と使命感を社会人として、責任を持って行動する必要がある。

 でなければ文句を言う資格もなく、衰微を待つばかりだ。

 五月の鯉のぼりも、風を飲み込まなければ泳げない。大きな目と口を開けよう。

ボックス 七十にして、心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。
月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=論語普及会学監 伊與田 覺

『迷いがあるからこそ悟りもある。』

 『論語』の為政第二に、孔子の大変有名な言葉がある。
 「吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(みみしたが)い、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
 これは孔子の精神の発達史といえよう。

 村の有力者の第3夫人の子供として生まれた孔子は、父親が早くになくなったため母親の手で育てられ、十有五にして学に志した。学に志すとは平たく言えば、立派な人物になろうと志すことです。こうした志を抱いた人のことを仏教では声聞といいますが、孔子はその字の如く、あらゆる人から貪欲に真理を聞きだし、学びを深めていきました。

 その学識が知れ渡り、弟子が増えてくると、人に教えることによって身を立ててゆこうと決意しました。これが三十にして立つということです。

 世の中は複雑であり、いくら信念を持っていても、それが容れられるとは限りません。孔子もいろいろな障害に直面したことでしょう。しかし、人間は迷いがあるから悟りがあるのです。逆に言えば、迷わない人に悟りはありません。孔子も様々な葛藤を乗り越え、四十にして惑わなくなったのです。

 
『年を重ねるたびに成熟していく。』

 どんなに正しいと思って実行しても、間違っていたと気づくことがしばしばあります。孔子は、そうした過ちを絶対悪とはしていません。気がついたら改めればよい。むしろ、過ちと知りながらこれを改めないことを本当の過ちであると説いている。

 『論語』に、「曽子曰く、吾日に吾が身を三省す」とあります。孔子の弟子であった曽子は、他の優秀な弟子たちの間では余り目立たない存在でしたが、絶えず自分を振り返り、反省をして誤りを改めたことによって、孔子の教えを最も忠実に受け継いだ人だと賞賛されるまでになりました。
孔子自身も生涯を通じてこの三省を繰り返した人でした。そして如何にすれば過ちを少なくすることが出来るかと研鑽を重ね、五十にして天命を知りました。それからは天と交流できるようになり、人に見えざるものが見え、聞こえざるものが聞こえてくるようになったといいます。しかし、孔子はそこで思い上がることなく、ますます謙虚に学び続け、六十にして耳順う境地に至りました。人は年とともに体も心も硬くなり、頑固になっていくものですが、孔子は逆に誰の意見でも素直に聞けるようになったのです。

 孔子といえば後世の私達からすれば完全な人という印象があります。しかしその実像は、常に反省をし、足らざるを改める努力を生涯にわたって続けた人だと思います。多くの弟子から尊敬を集めていましたが、自分は他人と少しも変わらない、いたらない人間だと学び続けた。その結果、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(のりをこえず)、すなわち自分の思うままに振舞っても過ちを犯すことの少ない人生に、ようやく到達できたのです。

 孔子は73歳で生涯を閉じました。当時としては相当な長寿であり、まさに天寿を全うしたといえるでしょう。93歳の私は、孔子が亡くなった年より20年も長生きしたことになりますが、年を取れば取るほど孔子との間隔があいていくようで、これではいけないと反省しつつ学びを続けています。
東洋思想では年を取るほど立派になっていくことが理想とされます。老朽、老醜という言葉が示すように、老いというのは一般に否定的に見られがちです。しかし、こうした言葉とは反対に、老熟、老練といった非常に魅力的な言葉もあります。年を取るたびに人間が成熟し、練れていく、そんな生き方を目指したいものです。

 果物は完熟して本当の旨味が出ます。私達もこの世に生を受けたからには、自分の持ち味を十分に発揮し、息を引き取るときが最も円熟した時、完成された時でありたいものです。

 

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