愛媛県議会議員 明比昭治 いきいき西条 元気な愛媛!! 「輝くふるさと愛媛づくり」
 
「松山分水」問題を冷静に考えよう。(2010/4/1)

「明比昭治」2月定例県議会で一般質問、大きな波紋を起こした。

 松山市で「黒瀬ダムの水」を第3の水源として求めようとの、署名活動が行われていることに対し、西条市民は問題視している。

 県の管理下にあるとは言え、東予新産業都市計画の一端として、「黒瀬ダム」を地元の総意に基づき建設し、加茂川総合開発で工業用水を新居浜・西条の地域の産業基盤として「水資源」の確保が図られているものであり、地域の守らなければならない貴重な財産である。松山市がここに勝手に入り込むのは地元に反感を煽ることであり、地域間の対立を生むもので、ましてや歴史や政治的背景の理解力のない子供たちまで署名活動に参加させることは、将来ともに対立感情が残るものと危惧の念を抱かざるを得ない。

 これらの西条市民の声をうけ、2月定例県議会の一般質問(議会報告の項に要旨を記載してある)で私は、加茂川の水の正常な河川維持用水さえ不足する実情と(詳しくは「西条の水事情」を別項に記載しているのでご覧いただきたい)を、併せて発言させていただいた。

 本会議の後、マスコミの取材に対し、知事が私の発言に「野党発言だ」(翌朝撤回されたが)とコメントし、マスコミに大きく報じられることとなった。

 さらに翌日の一般質問で、西条市選出の「青野勝」議員も、西条市民の疑念の声を届ける発言があり、連日、松山と西条の「水資源」に対する取り組みが報じられ、この問題の難しいことや、正しい理解のあり方を、県民こぞって考える機会となっており、良き展開となっている。決して禍根を残さないように、お互い冷静に考えたいものだ。

 西条の水事情は、誰よりも私は子供の頃から加茂川を眺め、育てられているからわかっている、説明を求められれば何時でも説明したい。

 古来より水騒動は血を流すような戦いがあったが・・・。

新年度のスタート、明るさを取り戻そう!

 さて、4月となり、新しい年度がスタートし、何とか早くもろもろの閉塞感がぬぐわれることを期待したい。

 政治も経済も混迷の度合いを深めているが、何よりも犠牲になっているのは、国民であり、中でも将来を担う若者に「夢」や「希望」を持てない状況に追い込んでしまっているのは、取り返しが出来なくしてしまう。

 国民が期待した政権の支持率も30%を割り込み、危険水域に入ったといわれるが、相変わらずのごたごたで、国民の不信を一層深めている。

 起死回生の妙案などなかろうが、一本筋を通してこの国の行く道筋の光明をかざして欲しいものだ。

「他人の悪を言わず、己の善を語らず」進んで支えあって働こう!

ボックス 「カルタゴの平和」と「人間の鎖」
我が民族の未来は、自分たちの手の中にしかない。
月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=アサヒビール名誉顧問 中條高徳

『ローマ帝国とカルタゴの末路』

 我が国は先の大戦に敗れてすでに65年の月日を重ねてきた。その間、想像もできないほどのどん底から立ち上がり、奇跡のように世界の経済大国になり得た。世界の人々が驚くほどの蘇りなのに、生まれた自分の国に誇りをもち得ない人があまりに多く、その国民が選択した新政権も大きく揺れている。国益を代表して事に当たる首相の「不作為」(しないこと)と、「遅疑逡巡」(尻込み)が目立つ。

 戦場では優柔不断は断じて許されないと説く有名な兵法がある。「為さざると遅疑するとは、指揮官の最も戒むべきところとす。是此の両者の軍隊を危殆に陥らしむること、その方法を誤るよりも更に甚だしきものあればなり」時の権力はしばしば、国家にとって「負の方向」に進むことは歴史が説いている。私の若い頃「権門上におごれども・・・社稷を思う心なし・・・」という歌が流行っていたが、権力が「負の方向」に流れていたことへの抵抗の歌であった。

 今日の(1月30日)特別講演会は「人間力を高める」という課題の学びであった。説く者も学ぶ者も真剣に熱く燃えこの国の行方に心痛める発言も多く聞かれた。人間力を身につければ、大言壮語しなくとも「「国の行方」や「民族の生き方」が気になるものだ。正しく生きる「生き様」に気づくのだ。

 ローマ帝国時代に貿易で富を築いたいまの日本に良く似たカルタゴという国があり、ローマと3回に亘って戦った。これをポエニ戦争という。第二次戦では名将ハンニバルが現れ、ローマ危うしの場面もあったほどだ。しかし、どうしても地中海の覇権を握ろうとするローマは、第三次戦でカルタゴの女、子供まで惨殺して、あわれ民族のすべてが消えた。今のチュニジアの地である。征服したローマもいまは遺跡しかない。

 
『民族滅亡の三原則を心して聞け』

 バルト海沿岸のエストニア、ラトビア、リトアニアの三国を「バルト三国」と呼ぶ。この三国の辿った歴史は、地を接する大国からの侵略の繰り返しで、それだけでも四方を海に囲まれ、殆ど他民族に侵されることのなかった海洋国家たる我が民族のありがたさが身に沁みるはずである。近現代に入ってからもバルト三国はソ連に突如占領され、民族の独立はおろか、思想・言論の自由も全くなく、優れた人材や独立論者の命は粛清の名のもとにことごとく消されていった。

 そうした中で、バルト三国の人たちは「我が民族の未来は自分たちの手の中にしかない」と叫んで、お互いに手を結び、それを「人間の鎖」と呼び、バルトの道を繋ぎ続けたという。

 また、リトアニアには「十字架の丘」があるという。撤去され続けても次々と捧げられる十字架が山となりそう呼ばれるようになった。圧政から逃げ出したい、自由が欲しいとひたすら十字架に祈るしか手段がなかった民族の切なさが伝わってくる。ソ連が崩壊し、このバルト三国がそれぞれ独立し、この「十字架の丘」が世界遺産となった。

 我が国が1905年の日露戦争に敗れていたとしたら、ロシアの領土にされ、このバルト三国と同じ運命を辿ったに違いない。迷える日本人よ。世界の歴史が説く民族滅亡の三原則を心して聞けと叫びたい。

 1・理想(夢)を喪った民族
 1・すべての価値をもので捉え、心の価値を見失った民族
 1・自国の歴史を忘れた民族

 

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