愛媛県議会議員 明比昭治 いきいき西条 元気な愛媛!! 「輝くふるさと愛媛づくり」
東日本大震災被災地への物資救援活動と視察報告
自民党愛媛県連「震災対策特別班」 明比 昭治  
《実施日程》 平成23年5月4日~6日  
 さる3月11日に発生した「東日本大震災」は、震度7、M9.0と東京より東の太平洋沿岸域で、津波を誘発し、更には福島第1原子力発電所でも炉心溶融の事故を起こし、約1.5万人の死者、さらに約1万人の行方不明者を出す、未曾有の大災害で、いまだ復興の見通しが立っていない。
先の統一地方選挙においても、我が愛媛にも「伊方原発」があり、南海・東南海地震の事もあり、危機管理のあり方をあらためて見直そう・ご近所の絆を大切に共助の取り組みを見直そう・・と訴えていた。選挙が終れば是非支援活動に参加したいし、呼びかけたいと思っていたところ、自民党愛媛県連でもこれらの対策PTをとの、清家幹事長の発案も合致し、今回連休を利用してと、取り急ぎ自発的有志で特別班をつくり「森高議員」を団長として、明比昭治・泉圭一・黒川洋介・大西渡の5名が参加、行動した。
実施に際しては、県の危機管理課とも共同し、支援物資を調達したが、やはり先方で、物資は喜んでくれたので、協力いただいた関係者には謝意を表したい。
また、今回の実施に併せ、(有)BOXの渡辺社長がワゴン車で現地に先回りし、移動手段があったため思い通りの移動がスムーズにできたことも、成果を挙げられた大きな要因である。
また何より今回の行動を、全て現地で適切な場所や人に引き合わせるコーディネイトを頂いたのは、森高班長の古い友人で、宮城県岩出山町長を務められていた「佐藤仁一」さん(「あ・ら・伊達な道の駅」で全国の道の駅でも2番目の売り上げ実績を作る成功事例を作っている。今度は仙台市内で「場外市場『杜の市場』を5月末にオープンさせる」)で、3日間も忙しい中ずっと同行し道案内いただき、最も充実した研修や視察・交流ができたことに心から感謝したい。彼の人脈・行動力・適切な配意には敬服するものだ。
先に中村知事が訪問の際もお世話をいただいたようであり、今後も機会があれば、彼に相談すれば先ず目的にかなう事ができるものとも確信する。


《行動概要》
  5月4日 松山空港9:40発 伊丹空港乗換え 仙台空港到着13:00

 空港に、本岩出山町長「佐藤仁一」さん、地元の岩沼市議会議長「沼田健一」さんが、出迎えてくれた。(仙台空港も全体が約2Mあまり水浸しになり、1ヶ月あまり閉鎖されていた。) また、これからの視察のため先回りして車を準備してくれた(有)BOXの渡辺社長の車に乗り込み、早速行動を開始した。
車に乗り込み2分もたたないのに、もう目の前は一面ガレキやペシャンコの車がゴロゴロ、住宅など見るも無残な状況で、議長の自宅もそのあたりに有ったのだが、今は無く、息子さんのところへ身を寄せているとのこと。海岸の防潮堤も全体に移動するほど押し流され、防風林もなぎ倒されている。
仙台空港前(岩沼市) 防潮堤も全体が移動した。
   
 議長に先導されて岩沼市役所を訪問、災害対策本部にて「井口経明」市長と面談の後、トラックで運び込んだ支援物資をお渡しした。本部では「村上智行」県議にもお会いできた。統一地方選挙の準備はしていたのだが、と選挙用の名詞をいただいた。
早期対策が必要だが、用地確保が思うように進まない建設中の仮設住宅も見学できた。
次に、仙台市に入り「佐藤正昭」市議の先導で、2箇所の避難施設で支援物資をお渡しして激励慰問、その後、仙台市役所で「奥山恵美子」仙台市長と面談、被災状況の説明を受けた、さらに基礎自治体としての対応状況などが聞けた。
※岩沼市 176人死亡。約10名行方不明。約340人避難
※仙台市 680人死亡。約1970人避難。
支援物資の贈呈(手送りで倉庫へ) 学校のグランドにも建設が進められる仮設住宅

 5月5日
  町長が役場の放送塔の柱にかきついて助かった報道でもよく知られる、南三陸町の「佐藤仁」町長を訪問、役場は勿論、町の住宅の70%余が流されており、仮庁舎は山の上で開発された商工団地の一角にプレハブで立てられていた、仮設住宅の抽選会も有ったようで、ごった返していた。避難場所では自衛隊の沖縄や熊本からの派遣隊員が活動していた。
※南三陸町 町民約1.8万人。約5740人避難。508人死亡。約660人行方不明。約3880棟全壊。
仮設住宅の入居も、元の集落単位なら一定のコミュニケーションも機能するが、かえって精神的孤立にもなりかねないと危惧の話もきかされた。また、駐車場の確保が仮設住宅では十分でないため、係りと押し問答し、詰め寄る場面も見られた。住民もイライラが募り、役所の職員も公平を考えれば適当にする訳にはいかないし、支援物資も倉庫に山積みされているが勝手に配れないし・・・やっぱり現場は平穏でとは行かない。そのうえ仮設住宅に移れば支援物資も得られなくなる。
JR気仙沼線もズタズタに 30M以上の高台まで押し寄せ壊滅状態
   
 天皇陛下も御慰問に訪れられた小学校から、町の全景を見せていただき、当時の様子を小学校の先生から涙ながらに聞かされたが、まさに眼下は地獄絵図の惨状がまだ残ったままだ。
その後、急遽だが気仙沼商工会議所会頭の「臼井賢志」さんに、手筈が整い面会できた。
気仙沼は漁業の水揚げ基地として、あらゆる業種の生計が成り立ってきた。いち早く復興を目指す事が、地域のためであり、日本の経済に役立つ事だと情熱を込めて復興への思いが聞かされた。
陸に打ち上げられた船、火災で焼け焦げた住宅や車・港でも焼け焦げた漁船などなど・・町の中に入るにも通路が十分に確保されておらず、未だに通行さえ制限されているような状況である。
※気仙沼市 913人死亡。約610人行方不明。約4810人避難。

 5月6日
 福島第1原子力発電所の事故により、全町に避難指示が出て住民が避難、役場も仮庁舎で非難している浪江町へ、支援物資としてマスクを届けるために訪問した。最初にこれらを合併して、旧町の庁舎が空いている事もあり、臨時役所を含めて住民も受け入れている、二本松市の「三保恵一」市長を訪問原発を含め、安全神話を信じてはならない、事故は必ずあるものだと覚悟してものごとに対処したいと、次に被害が及んだ時の対策を、既に全国とネットワークを取りつつあるまでの話を聞かされた。
また情報はできる限り性格に公表することで、信頼や安心感を保つ事が大切だとの見識も聞かされた。
一方、犠牲者の弔いもできず、取るものもとり合えず非難しながら、全国に散らばり非難し、その終息のめどの立たない浪江町の方々は、副町長「上野晋平」さんや、総務部長さんにも面会できたが、疲労の極限に来ているようにも思えた。酒を飲んで憂さ晴らしをする人もいる、人の心まで汚染されてきたとも言えるような状況のようだ。一時帰宅さえ儘ならない状況で、憂さの持って行き場もないのだろう。
※浪江町 人口約2.1万人。約140人行方不明。

《今回の体験よりの私の所感》
 こんな混乱状況の渦中にある方々に、性急に「頑張れ」「何とかせよ」といっても無理がある。テレビが放映されていても上の空、誰も頭に入って見ている人は居ないとも聞かされた。心そこにあらず何をする気力にも欠けているという。
 我々も気長く見守る必要があるのだろう。彼らには決して非は無いのだ。何をしてあげれば、彼らの心を癒してあげたり、勇気付けられるのか?良く解らないが、周りの者が責任を持って、心こもった支援をしなければならないことなのだと言うことだけは、明らかな事だ。
また、支援の方策についても、状況が色々変わっておりタイムリーなニーズに応えられる配慮が必要のようだ。これが良かろうと思って届けても、もう必要が無くなっていて、逆に善意の押し付けになる事にもなりかねない。よく状況を把握し、被災者の本音を聞いての対応が大事だろう。
一歩離れたところでは、この現実が伝わりにくいものだ。現場での体験を今後の教訓にしたい。 
陸上に押し上げられた400Tの漁船(気仙沼) 二本松市の庁舎が、浪江町の仮庁舎となっている。

 

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